三宝法典 第二部 第五項 法を選べ

 法を選べ

時に世尊、ビクらをともない、祇園精舎を出でてコーサラ国に正導の旅をなしたまい、カーラーマ人の住む町に着かれたり、カーラーマ人は世尊のみもとに参りて申し上げたり。
 
「世尊、ある修行者はこの町に来たり、おのれの教えをたたえ他の教えを非難せり。われらいずれが真実なるやと疑えり。」
 
「カーラーマの人々よ。その疑惑はもっともなり。知らせや伝説をそのままに受け入るることなかれ。経典にあるゆえに、おのれの想像と考えに合うゆえに、名高き修行者の言なるゆえになどの理由にて受け入るることなかれ。おんみらはつねに、おのれに悪しく罪けがれあり、賢き人のいとうところ、執着なせば不利益と不幸を招くものならば、この法をさくるべし。
 
カーラーマの人々よ。むさぼり、怒り、愚痴はそれを生みたる人にとりて不利益
なるや利益なるや。」
 
「世尊よ、そは不利益なり。」
 
「むさぼり心強く、怒りやすく、愚痴なる人は、この三毒にうちまかされ心を奪われ、生物を殺し、、与えられざるを奪い、他人の妻をおかし、偽りを言い、他の人にもかくのごとくなさしむる。これらはその人にとりて永き不利益、不幸となるなり。よって不利益と不幸を招くものを捨て、利益と幸福をもたらすものに従うべし。力ーラーマの人々よ。むさぼり、怒り、愚痴をはなれ、これにうちまかされず、心を奪われず、生物を殺さず、与えられざるを奪わず、他人の妻をおかさず、偽りを言わず、他の人をしてかくのごとくなさしめざれば、これ善にして無罪、この人にとりて永き利益、幸福となるなり。

かくのごとく三毒をはなれ、思慮深く、慈しみの心と悲しみあわれむ心と、喜びの心、捨つる心とをもちて一方をみたし、次第にすべての世界を憎みなく、怨みなくしてあまねくみたす。かくのごとくしてこの教えの弟子は三毒なき清浄の心にいたり、現在において四つの安心に達す。『もし来世ありて、善悪、業報のむくいありとせば、われは死後、善き所、天界に生ずるならん』と、これ第一の安心なり。
 
『もし来世なく、善悪、業報のむくいあらずとも、われは現在において三毒なくして苦悩なき幸福に住するなり』と、これ第二の安心なり。『たとえ悪をなしたるものに悪むくいらるるとも、いかなる悪も思念せず、悪業をなさざるわれに苦悩あることなし』と、これ第三の安心なり。『たとえ悪をなしたるものに悪むくいられざるも、われは悪業をなさざるゆえに、清浄なるおのれを認むるなり』と、これ第四の安心なり。
 
わが教えの弟子はかくのごとくして三毒なき清浄の心にいたり、現在において四つの安心をたもつなり。」
  
「世尊よ、説のごとし。聖なる弟子衆は親切にして怒りなく、けがれなくして清浄の心にいたり、現在において四つの安心をたもてり。今日以後、命の終わるまで、三宝に帰依したてまつる信者として、われらを受け入れたまえ。」

とカーラーマ人は三宝に帰依せり。
南伝一七巻三〇三頁増支部三集第二大品
四無量心(慈・悲・喜・捨)