三宝法典 第一部 第66項 変化の覚り

変化の覚り

世尊、サーバッティー祇園精舎にましませる時、長老サーリプッタはその弟子
を正導せり。他心知通の力はブッダのみにありていまだ他の者にあらず。サーリプ
ッタもいまだこの力を得ずして、弟子の心を充分に知り得ざれば、世のすべては不浄なりとの観法のみ説きたり。
 
されどこの弟子はいくたびも金工の家に生まれて、久しき間、純金のみを見てそれに心が染み、ふさわしからざる教えにて、かれは世のすべてに不浄の観念を起し得ず、四ヵ月を空費せり。サーリプッタはその弟子にアラハンの聖果を授け得ずして、かくのごとく思えり。
  
「かれは仏力によりてのみ正導せらるべき者ならん。如来のみもとにともないゆかん。」と。
 
夜の明けざるうちに、かれをともないて世尊のみもとにまいり、この次第を世尊に申し上げたり。
  
サーリプッタよ、おんみにはいまだ衆生の心中を知る力なし。立ち去りて、夕ぐれにおんみの弟子をともないゆくぺし。」
 
かくのごとく世尊は仰せられて、その弟子にふさわしき下衣と上衣とを与え、かれをともないて托鉢し、美味の食を与え、多くのビク衆にとりまかれてふたたび精舎に帰りたまえり。日中は世尊の香室にてすごし、夕ぐれにそのビクをともないて静かに歩みたまい、神通力にて園中に蓮池を出現させ、さらに蓮華のくさむらと、その中に一つの大蓮華を出現させて、
  
「ビクよ、この花を見つめて坐すべし。」と仰せられ、香室に入りたまえり。
 
ビクはかの花をいくたびとなく見つめるうち、世尊はかの花をしぼませられ、色あせ、ふちの方より次第に葉を落とさせ、たちまちにすべてを落とさせ、実の皮のみ残されたり。これを見てビクは思えり。
  
「この蓮華は、先ほどまで色美しく、見るも心地よき花なりしが、もはや色あせて葉も落ち、実の皮のみ残れり。蓮華にかくのごとく老が来たれり。わが身にも必ずや老が来たるべし。」と。
 
かくてすべてはつねならず、との正しき観察を得たり。これを知りたまえる世尊は、光明をはなち、詩を唱えたまえり。
   
   「おのれを愛する心を断てよ  秋の蓮華を手折るごと
    静けき道に進むべし     ニバーナは如来の示すもの」
 
かのビクはアラハン果を体得し、あらゆる生存より解脱せり。
  
「生涯を暮らしつくし、心は熟せり。心身のけがれはつきて、最後の肉身を保つ。月のかげりが消ゆるごと、おおえる愚痴のくら闇と、心のあかをのぞきたり。輝ける陽が、虚空を照らすがごとく。」
 
かれは種々に喜びを語り、唱え、世尊のみもとにまいりて礼拝し、長老サーリプッタも来たり礼拝してともない去れり。
 
ビクらは一日のうちに、アラハン果を授けられし、み仏けの広大なる威徳を賛歎しあえり。
南伝二八巻三五一