生き方メッセージ #65(天地の間に)

   『天地の間に』
天地の間における位置付け
そこに自分の座りがある
どの様に生きるのかと
 社会対応の明け暮れでは
 まるで自分は見えない
 座席の取りようもない
天地の間で呼吸する
そこに自分のいのちがある
だから自分の生き方となる
              
[天地の間に] 社会や組織家庭とまるで対応の為に生きていると、自分を生きる事になるのだろううか。文明文化浸けになっていると人口呼吸をしている様なものになる。せっかく自分を生きられる時代になったというのに。

       『そよ風と語らい続ける コスモス』
 天地の間における自分ともなれば、卑小劣凡でしかない。英雄でもなければ悪党でもない。その凡さ加減に座りが出来るとエネルギ-が湧いてくるから妙だ。万物の霊長などと気取らないですむ。万物から笑われないですむ。                     

[天地の間] 自然に親しむなどというといかにも和やかな感じになりますね。でも何やら人間の方が主人公の様な響きがあります。盆栽なども人間が作り支配してゆく世界の様になるのではないでしょうか。宇宙が出来て百五十億年、人類になってからたった四百万年、この人類という私が天地の間に、プイと置かれたらどうでしょう。

私という人類が生き継いできたのがたかだか四百万年という事実が天地の間の私という事である。もし猿が兵器を持てば笑う人類なのに、自分は兵器を持たねば生きられないという文明妄想を自ら作り上げている という事ほど反自然な事はないでしょう。こうした前提の中で私たちは生きているのだから恥ずかしいものです。