やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #13(体当たりは出来ない)

体当たりは出来ない
 
それを手抜きすると最初から精神的な教育だけして、あとはもう体当たりで断られた所からセールスは始まるというか、これは散々やった人が言うことであって、初めての人問に断られた所から始まるなんて、そこで先ず劣等感持つでしょう、おれはなんでこんなことやらなければならないのかとね。こんなにしなければならないなら俺はもう何か外の仕事をと外の事を考える。辞めたくなってしまうでしょう。

所が、精神主義は駄目で、体当たり主義は駄目であって、今までの学校教育が体当たり主義じゃないでしょう。体当たり主義は自発性によって成り立つわけです。自分からやるというのは体当たりですから。学校教育は体当たり何もないわけです。全部はいこれ宿題やってこい、これは分かるかこれはどうかと全部上から下へ上から下へ式の教育でしょう。体当たりでやるような勉強は何がありますか。そうすると中学、高校、大学まで体当たり何もやっていないいデートとかガールフレンド作るかギター弾くか位しか体当たりはないわけです。

だから体当たりしないという練習をずーつと十年くらいやっているわけでしょう。体当たりしないでずーつと十年もやってきた人間にぽっとさあ休当たりでやれといっても、出来るわけがない。大体それこそ無理だ。

結局管理者側というか指導者側が間違っているということです。認識不足です。頑張れって言っても分からない、頑張れってどういうことでしょうかと聞かれる。抽象的な言葉としてしかとれないわけです。

結局分からないわけです。頑張った経験がないから。歯をくいしばれって言っても、歯を食いしばったごとがないんですから、最初からもう勉強で俺はもう駄目だと最初から投げている人間だから、歯を食いしばった経験ない人間に歯を食いしばれっていっても全然意味は通じない。体験がないから、だから頑張れっていっても言葉でしかない。たんなる言葉であって、事ごとくに今は頑張れって言うでしょう。

テレビ見てても分かります。女のアナウンサーがでは頑張って下さいとこう言う、あれは男言葉なんです。戦前はよくよくの言葉だったんです。最大級の言葉だった。日常には昔頑張れなんて言わなかったんです、一所懸命やりましょうだった。所が本当は一所懸命は最大限の言葉なんです。一所でしょ、一つの所、ひどつのところに命を懸けるというのが一所懸命です。今一生懸命と書くけれどもあれは一所懸命です。

一所懸命というのは鎌倉時代に武士が戦争に行って戦って、そして手柄を立ててそして自分の土地を自分の殿様からお前はよく働いたと、この土地をやるぞと、いままでの土地をいままで通り持ってていいぞと、許可がでる、それが自分の土地、それによって家族や自分の家来を養う、それがあの一所なんです。

それには戦いに行って命を懸けて来たわけです。だからまさに命を懸けて戦ってきて自分の土地を守ったわけです。それが一所懸命だから最大級でしょう。本当の意味の命を懸けたんだから、侍ですから。だけど今一所懸命と言っても誰もその命を本当に懸けるとは思わないわけです。命がけでやりますなんて言っても、絶対安全なことしかやらないわけだから。一所懸命と言う言葉が今は別に最大限になっていない。と同じに頑張れっていうのも、最大限の言葉だったんです昔は。だけど今は挨拶言葉にしかなっていないでしょう。で私は頑張れという言葉を使わないようにしているんです。四、五年前から頑張れって人には言わないようにしたわけです。

私、自分に関しては、忙しいからと言わないようにしたわけです。そうすると実に話しにくいんです。電話のときに最後にではまあ頑張ってねとこう言っておけばもうすぐ切れるんです。それを言わないように決めたんです。相手によって、では一所懸命やって下さいと長ったらしいですね、相于に応じて言い方変えなければいけないから、頭の訓練になりますけれども。


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