やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #12(人間性の理解)

  人間性の理解
 
今は好きじゃないけど、やりたくないけれどその人に今やっていることを、会社としてはやってもらわないとしようがないなら、少し興味というか、少し嫌ではないように仕向けないといけない。それ以外にはない、それが人間性を理解するということです。
 
人間は自分の好きなことならやると、麻雀なら夜通しでもやる徹夜麻雀やるし、魚釣りなら日曜日朝早く行って、いつも朝早く起きない人間が日曜日は自分で弁当作って、奥さんまだ寝ているけど自分で弁当つくって魚釣り行って死んでしまうんでしょう。波にさらわれて死ぬんだから、自分か魚釣りに行きたいと思うなら死ぬようなことまでやるわけ。ゴルフに朝早く行って死んだという話はないけれど、魚釣り行って死んだという話は今多い。渡し舟なんかで行くでしょう。自分でオートバイで車で行ける範囲位ならそんな危ないとこ行かないけで、船でいくなら危ない所へ行ってしまうから、だから好きなことになるとあそこまで行ってしまう。命懸けるとこまでいくわけでしすよ。だからやる気がないんじゃない。やる気は大いにある。ただしそれは自分の好むこと自分の好きな事だという。自分の好きでないことにやる気を起こさないのはこれが当たり前、無理がない。であれば自分が好きになるようにしなければならない自分に係わることであり、自分が好きになることである。そういう風にさせれば無理でなくなる。

好きにさせるということを今度は、好きにさせる事が今度は一つのルールというか人問の原理に合っている、好きなことならやるんだと、好きにさせればいいんだと、セールスが好きにさせればいいんだということです。だから好きにさせるということを今度は無理して好きにさせるというのは駄目なんです。好きな事はやるんだから、セールスを好きにさせればいいそれは無理して好きにさせるんじゃなくてこちらのアプローチの仕方です。それは無理しないということは先ずお手本を見せるということです。

例えばお習字でもそうです。お手本を先ず書いて見せる。先生が書いて見せる。そしてこういうふうに書けることがいかに喜びであるかという、その自分がすることを成績上がることと途中のプロセス過程でも、能力の過程であればその結果がいい結果が出たということだから,過程の結果どちらにしてもそれが喜びにつながるというお手本を見せなければいけない。

これは技術関係だったら皆そうやっている。先輩がやって見せるわけです、そしてお前もやってみろこうなる。セールスの話でも最初はある程度先輩が連れて回るでしょう。しかし直ぐ離してしまう。ずーつと何時迄もそう先輩がついていない。本人が先輩がセールスやってそして成績につながることの喜びを見せて、本人もああそうかなというにしても今度は自分が本当に一人でやってそして喜びにつながるという所まで行かないうちに、一本立ちというか一人でやらせてしまうんじゃないでしょうか。最初から体当たりでやれという式でしょう。

私も娘が日曜日はこないわけですが、土曜日に日曜の昼まで料理作ってくれている。冷蔵庫にいれておくんです。土曜日の晩に。冷たい、ちょっと肉みたいなものを冷たければもう食べたくない、ちょっと温めればいいわけです。だけど温めたらいいんだけど、もうそれが私なんかには苦になる、だからもう昼食べない。もう冷蔵庫のものは食べないで、お茶漬けで食べてしまうということをやってしまう。しつけないからです。しつけないことは誰でも苫になる。しつけるということ、セールスでもお習字でも技術でも最初から喜びにならないから、何回も何回もやってすこうし出来るようになって初めて喜びです。だから本人が少し出来るようになるまではついて回ることが必要でしょう。


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