やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #11(自分流を)

  自分流を
 
OO流を作らなければならない。自分がやっている什事これはあなたがやっても同僚がやっても大体同じような事をやっているわけでしょう。OO流ではないわけです。そこにOO流をどういうふうに作り上げるか、やる気というのは自分白身がやる気を持たなければやる気を伝染させる事は出来ない。やる気のある者は必ず自分流を作るはずです。やる気というのは結局自分流を作るということになると思う。だからやる気を起こさせる教育をやっていると自分は擦り減っていくんです。だから自分白身がやる気を持って、自分の事に対してやる気は起きるんです。

本来やる気というのは自分に関することならばやる気が起きるはずです。会社の為だから、昔は会社のためにイクオール自分のためになったからやる気が起きたわけです。今はそうはならないのです、今の若い人にとっては。まずやる気というのは、自分の為にならない限りもうやる気は起きないという前提に立つべきでしょうね。

昔は無条件に会社に入るということはイクオールやる気があるという前提からスタートしていたけれども、今は違うんだから、やる気がないというのは自分に関する事でないからだと、やる気がない人問も、例えば学校で勉強やる気がない者も、ディスコにいって踊るのは一所懸命踊るんです。ギターならばもうすぐに上手になるんです。音楽ならすぐ上手になる。自分に関することだから。やる気がないんじゃないんです。やる気がないならば、あんなフォークソングだろうがギターなどしないはず。所がやる気があるからやる。

自分がやりたいと思うことと結びつかないからその事に関してやる気がないんであって、本来やる気があるんです。自分の好きなことならいくらでも一所懸命やる。夜通しでもやるんです。だからやる気がないという前提に立ってはいけないわけです。やる気はある、ただ会社が期待する事と本人が期待していることと食い違っているというだけの話です。

やる気がないんじゃなくて自分に係わらないと思っているわけ。だからやる気を出せない。自分に関することはやる気があるんです。ということを自分自身が実証しなければならない。自分流のものを作ろうと考え出したら今まで以上に勉強もしなければならないし、考えもせねばならない。そこにあなた白身のやる気が出てくる。これが飯の種だとなればくたびれたで仕舞い。今度ここでこのコースをこなして次ぎのコースをこなしてという、ただコースをこなすことだけになるから。これはくたびれたでしょう。だからなるべくならやる気じゃないことで、要するにコースをこなすということを給料分だけするということでしょう。ということは給料分だけこなしてなるべく自分の疲労をどう少なくするという、要するになるべくやる気を持たないようにするということになるでしょう。

やる気をもてば予定以上にはまるから余計くたびれるでしょう。その時は張り切ってやるから、いかにも成績上がっていいけども、反動は必ずくたびれる。だからそれを繰り返して行く内にこの頃はきついとこうなるから、これはちょっとやり過ぎだと、ちょっと押さえてかからなければと、即ちやる気を減らそうとかかる。あなた白身やる気を減らす方向で動いていくということです。そうしなければ自分を守れない。これがやる気がないということは自己防衛であるということです。

やる気がないから駄目だではないんです。やる気を持たないようにして自己防衛しているという人間哲学というか人間の見方が出来ないとそれに対する対策が出て来ない。自分に関する自分の興味を持つことでない事に対してやると、一所懸命やるとくたびれるというわけです。嫌々ながらやるのはくたびれると、だから嫌々ながらやる場合にはなるべくやる気を持たないようにしてやると、これ自己防衛です。精神衛生上そうなっているわけです。無意識的にそうする。だからそれがまさに人間であってそれは正しいわけです。
 
ただ企業が期待することと違うということです。人間理解というのはそういうことであって、自己防衛です。だから勉強でも分からないときはあくびしている。そしてもうマンガでも見ている。あれは自己防衛しているんです。別に先生に対して反発しているわけではないけれども、分からないのに分かろう分かろうとしても、例えば英語で前の単語が覚えていないのなら、いくら分かろうとしたってもうそこではついて行けない。ついて行けないのに、それ気分だってくたびれるから自分をもう出来ないと英語は苦手だと思うことによってやる気をそこで捨てて自己防衛する。精神のバランスを取るわけです。これは生命の原理に立っているわけです。やる気がないということはそれによって自分の生命保持をしているわけです。めでたしめでたしになるわけです。

企業側から言えばそれは困るんで、困るけどそれが生命の原理だから。営業マンというのはやりたくないのを無理やりやらせているわけです、だからそこに無理がある。その無理とは何か、無理でない方は何か。やりたくないというのが無理がないということ。あなたやる気がない、それは無理がない。それでは困るから無理してもやる気を起こさせなければならない、しかしそれは無理なんです。無理は長く続かない。だからいろんな手を使っても線香花火であってあとはあんまり続かないと。そういう人間理解が必要だということです。



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