やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #7(食い違い)

 食い違い

 企業でもぱーつとやりたがる。それは支配者側がそうする。支配者側はぱーつとやってくれたがいいわけです。ところが支配される側はぱーつとする体質を持っていない。だから食い違うわけです。休質として社員全員がぱーつとやる体質を持っていれば、もう管理者は期待しなくたってぱーつとやるわけだから問題ないわけです。そういう体質ではない。だからぱーつとやるのが当たり前であると思ってはいけない。こつこつやるのが日本の民族性だから、これは伝統的に何百年とそういう風にやってきた。農耕民族だからo騎馬民族は違う。騎馬民族はぱっとやらないと、馬でぼっぼつ走っていたら馬乗る必要ないわけだから。羊はあっちこっち行ってしまうから、ばーつと行って、そして先回りして、羊の進路を変えてそしてまとめたら何するか、あとは遊んでいる。だからばーつとやるということは、あとは遊んでいるということです。農耕民族はばーつとやってあと休むではない。ずっとこつこつ一日やらないといけない。今の農業は勿論違って来てますが。しかしその体質は残っている。ようするに八十五%農民であったと、それが何百年も農民であったという、その体質は親から子へずっと伝わっている。今やっている什事は農業でもビニールハウスだから変わって来ている。しかし人問の心というのは何百年とずっと受け継がれたものは作業が変わっても仕事の仕方が変わっても心は変わらない。そこに食い違いがある。いわゆる本当は農耕民族だ、こつこつやる心をもってきている、それなのに今、工業化しているから、ぱっとやらなければならない。そこにギャップがある。

  感情と論理のギャップ

 営業とか販売の場合に特にそういうギャップがあります。新人社員が入る、その人達:大学出た人達が本当は会社も一年やそこらで一人前になると思っていませんが、まあぼつぼつでいいと思っているだろう、だけどすぐにさっと実績を求めて行くが、そこに論理的に考えると直ぐに戦力にならないはずだとこれ論理です。しかし感情としては期待する感情としては、いやパッとやってもらわねば困る。管理者に論理と感情と食い違っている。管理すろ側がもうすでに食い違っている。管理される側はなおさらだと、俺は給料分やればいいじゃないかこれ論理です。感情の方ははなるべくしたくない。なるべくしたいという
人間ではない、感情の方はなるべくしたくない。論理的には給料分すればいいじゃないか、これ論理です。管理される側の論理と感情はそうです。管理する側はすぐ出来るわけはないという論理を持ちながら実際にはぱっとやってもらわないと困るという、どっちもどっちということ。だからよけいギャップが大きくなる。そういう理性と感情の食い違い何かをよく知るということが人間を知るということになる。


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