法句選 #23(究極の安らぎ)

  『究極の安らぎ』     
健康であれば第一の利益だが
健康なるが故に慢心も生じる
健康だけの人生でも意味がない
 満足し得るならば豊かだが
 とかく果てしない欲を持って
 人生そのものを考えはしない
心から信頼するものがあるか
ニバ-ナを学習する事があるか
そこに真の安らぎがあるのだが

無病は第一の利、満足は第一の富、信頼は第一の親族、ニバ-ナは第一の安らぎなり。

[究極の安らぎ] 健康で経済的にも豊かであれば幸せ一杯。趣味や娯楽で楽しむのも結構。だがそうした所にいつか空しさが感じられてくる。浦島太郎の昔話は気付いた時は老人を教える。人生そのものを学ばなかった結果である。

    『ニバ-ナの学習は人生初期にこそ必要』
 ニバ-ナは究極の安らぎである。それを死後にあるいは老後に求めても余り意味がない。人生初期に真の安らぎを学ぶ所があって、その線を外れないならば、その人生はより充実し、より熟成的になる。真の仏教が必要な理由だ。


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