ピー缶  池山弘徳 第4回文芸思潮エッセイ賞 入選作

      ピー缶                 池山弘徳
 感覚の中で、嗅覚は特別に不思議である。激しい悪臭でない限り、感じる事もあれば感じないこともある。ただ、臭いを感知したとき、時として人間の原初を思い出させる機能があるような気がする。
 マルセル・プルーストは「ふと口にした紅茶のマドレーヌ」の味と香りから「失われた時を求めて」という膨大な物語を記述した。香りが、過去の時間へ引き戻したに違いないのだ。
 ある日、私は小林市のリサイクルショップで、缶入りピースのあき缶を見つけた。二十世紀デザインの旗手、レイモンド・ローウィの手による金の鳩と白いPeaceの文字、紫紺の円柱蓋を開けると、甘い香りに鼻腔は満たされた。
光り輝くスチール缶は、密封や防湿性だけでなく香りを閉じこめる機能も保有していたのだ。その香りは、リサイクルショップから一昨年他界した兄の過去へと記憶を蘇らせた。
 若き日の兄、高田馬場の古びた下宿、鉄が鉄を切る小気味よい音を、クルクルッとたてながら得意満面で「たばこはピー缶でなければ。この香りがいいのだよな」と言った。
 そして、私にも吸えと命じた。確かに、その香りにはクラクラする陶酔感があった。しかし、一瞬ほのかな甘みがしたものの、タール28mg、ニコチン2.3mgのビースの強さにすぐ強烈に噎せ返った。六歳年上の兄は私にとって兄弟である以上に、父親であり人生の逆らえない存在であったが、ピー缶には従うことができなかった。
 兄が、ピースを愛用したのには、ほかにも理由かあった。かれは、その人生を賭けて太宰治を愛した。高校時代、太宰の小説の話を小学生の私によく話してくれた。おかげで仏は中学校一年生で太宰をほぼ読破し、頭脳の中は、道化と自殺で埋め尽くされていた。兄の生涯も「高貴と堕落」そのものであった。
 その彼が名作「女生徒」の中で、「両切りの煙草でないと、なんだか、不潔な感じがする」と書いているのである。また、剣を翳している三島由紀夫の写真には、ダンディズムの象徴のようなロココ調の室内に紙煙草の十本入りピースが、配置されていた。兄は、それらを気取っていたのである。
 早稲田界隈の青春を彷徨し続けた兄は学生になった時は、早稲田大学文学部最年長であった。その醸し出す不思議な雰囲気のためか馬場下町の三畳の狭い下宿には、連日級友が押し掛けた。様々な学生の集まりであった。「泥棒」という同人雑誌を作ると言うのが大義名分であったが、話題は、文学に限らず政治、恋愛、映画、教授評価と多岐にわたった。
 喧嘩、泥酔、失恋、逮捕、男色、転向、留学、青春が繰り広げられた。あるときなどは大学構内が中核派に襲われ、革マル派が塀から、ぞろぞろと落ちてくる日もあった。「生の過剰がもたらす危うい観念の死」を隣り合わせに、皆生きていた。
その中の一人、盾の会会員Hは、三島由紀夫市ヶ谷自衛隊自決の翌日、逗子の海辺で割腹した。
三島由紀夫は死んだ。俺はいいだももを殺る」と手紙に書いたK氏は、高校教師になった後、静かに自死した。今は、沖合に太平洋を望む静岡県の高台に眠っている。
 歴史の表舞台に全共闘運動が展開されていた時代に、所謂右翼という人々が純粋にまた真剣に生きていたということを知ったのも、兄貴の世界からであった。
 事件があると一言「OOは死んだ」といった。その夜はそれしか話をしなかった。その重さは、第三者には決して理解できない悲嘆が感じられた。兄は、これらの青春の負の記憶を鎮魂するかのように生きた気がする。
 郷里宮崎に帰ってからも、世間的な幸福とは無縁な一生だった。知的な職業には、一切就かなかった。土方や防水工で生計を立てていた。主食は麦飯。生涯独身であった。
兄には、当時一人だけ年上の頼りにする大学生がいた。早稲田大学社会学部のSさんであった。兄は、必ず「Sさん、Sさん」と繰り返して呼んでいた。Sさんは卒業後、現代の消費資本主義を唾棄し、沖縄県西表島に移住し、農業を営んでいた。
 兄貴の一年忌が過ぎた頃、Sさんより一通の葉書がきた。「夏のお盆に墓参りに行く」と書いてあった。生前兄達が、誇りにし、選挙応援していた鹿児島県の元県会議員を同行したSさんに、約三十年ぶりに宮崎駅で会った。会った瞬問「アッ」と驚いた。若いときの雰囲気とほとんど変わらなかったのである。
 実家で、焼酎「霧島」を飲みほろ酔いかげんになった後、兄貴の慕参りに行った。Sさんは、西表島から持参したアルコール分40度の泡盛を墓石に注ぎながら、「健二、来たぞ」と叫んだ、私は、そっとピースの空き缶を供え、蓋を開いた。
すると田舎の集合墓地は、アルコールとタバコの香りに包まれ、兄貴に相応しい頽廃の世界になった。
 線香を立て、手を合わせた。冥福など祈らなかった。ただ太宰治の「斜陽」の一節「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」を借用して、「デカダンデカダン、シュルシュルシュ。デカダンデカダン、シユルシュルシュ」と唱えた。
 兄貴の供養ができたと思った。灼熱の真夏、森林に囲まれた墓地の油蝉が一匹、ジーツと鳴き始めた。  
 
池山弘徳
        いけやま ひろのり
1951 宮崎県宮崎市生まれ
      67 宮崎県立大宮高校へ入学。三年間高校野球に没頭。この年、夏の甲子園      に1年生として参加。                 
 70   70 同高校卒業。このころより、現代詩に親しむ。蛍雪時代ユリイカ、現代詩手     帖、詩芸術に投稿                                    71 明治大学法学部法律学科入学。全共闘解体、あさま山荘事件、三島         由紀夫自決等の時代的事件に衝撃を受ける。
2002 宮崎県民芸術祭「みやざきの文学」 随筆の部、入選
  04 第19回国民文化祭・ふくおか、現代詩大会、福岡県詩人会奨励賞受賞
  05 宮崎県民芸術祭「みやざきの文学」  随筆の部、入選
好きな作家・詩人
 石垣りん、占野弘、自石かずこ、山村暮鳥、富松良夫、山田詠美、吉本ばなな、川端康成吉本隆明