生き方メッセージ #17(相対・絶対)

  『相対・絶対』      
物ももの事も総て相対的である
幸福であろうと不幸であろうと
こうでなければという事はない
 総てが相対的であるという事は
 絶対的な一つの真理理法である
 こうした把握は是非とも必要だ
絶対な理法に照らし合わせて
相対な現実を見事に生きれば
生き方の極がそこに実現する
              
[相対・絶対] 幸福・不幸に一喜一憂するのは相対的な生き方だが、それらの生き方を客観的にとらえて振り回されない生き方をする事は可能である。真理理法は絶対であり、その事への認識と信頼と実行が真の幸福をもたらす。

     『幸不幸を客観的に見るのは生き方学の始まり』
 幸不幸に左右されないいわば絶対的な生き方をした先人から、どの様に学習するかが自分の生き方を決定する。そこから自分独自の生き方も展開されてくる。先ずは相対と絶対とを意識する事から生き方学が始まると言えよう。                    

[相対・絶対] 幸福は人それぞれ感じ方が随分と違います。幸福=善、不幸=悪となりますが、この善悪も相対的なものです。相対的という事はこれが幸福、これが善という絶対的な基準がないという事です。そこで人は自分本位の幸福を求めるようになりますね。
 宗教的な絶対的なものを聞く事がない日本人は、絶対を知らない事による相対感、つまり一種のいい加減さでもの事を受け取るのではないでしょうか。なるようにしかならないとか、まあそんなものさといった受け取り方で、淡泊ともとれますが、生きる事への熱意も感謝も感じられないようなものになります。実に薄味の人生ですね。何かの基準を立てて生きる事が充実になるのでしょうが。


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