勤労の聖僧 桃水 #21(5、住職時代 その二)

元来、檀家の、仏に対する信仰的態度並びに僧侶に対する布施態度は、一般的にいって寔に、適正に布施心理に於いて、証明せられている。概括的に、その布施心理を掲出すれば、次ぎの如きものとなるであろう。
(イ) 家内安全、無事息災のために。
(ロ) 商売繁昌のために。
(ハ) 祈願を叶えて下さった御礼のために。
(ニ) 地獄に落ちないために。
(ホ) 日頃犯し来たった罪滅ぼしのために。
(ヘ) 吝嗇漢だと思われたくないために。
(ト) 皆に感心して貰いたいために。
(チ) 他人に負けないために。
(リ) 皆のすることだから。
(ヌ) 先祖から代々こうして来たことだから。
(ル) 病気を癒して貰いたいために。
(ヲ) 出世のために。 
 
叙上、一瞥して判然たるが如く、一般普通人布施心理は如上の如きものであって、一言、これをいい盡くすならば、我欲に立っているのである。
 
恰も、人体細胞はありとあらゆる欲の塊で出来ているが如くである。名誉を欲し金銭を欲し、美しき異性を欲し、健康を欲し、長寿を欲する。病めば回復を欲するが、全然病まない者は、或いは、病むことを欲するであろう。数え来たれば、人の我欲は数限りがない。一般普通人は、その我欲を貫く手段として、仏を信仰したり、布施をしたりするものである。如上の布施心理のほかにも、死者の冥福を祈らんがために―或いは、正しい道を歩まんがために―というのもない訳ではないが、斯かる布施心理(或いは態度)は稀にしか見受けざるところで(法事の際などは別であるが)、一般普通の人の布施心理なるものは、若し、昔からその間の消息を諷刺した歌にもある通り、―
『何時も三月春の頃、お前十八わしゃ二十、死なぬ子三人、皆孝行、使って減らぬ金百両、死んでも命のあるように』
 
という我欲に基付くものである。同時にそれは、法巌寺に於ける檀家の一般普通の布施心理たるに止まらず、世間一般普通人の布施心理である。聖僧は、小僧修業時代を通じて、一般普通人の仏道に対する態度を観た場合には、聖僧は、自分の仏道に対する態度と比較して、そこに余りにも甚だしい相違のあることに嫌厭たらずにはいられない。と共に、非妥協的で、莫迦正直な聖僧は、法巌寺檀家の一同に対して、何等かの方法をもって、その嫌厭たる情を表現しないではいられなかったものであろう。
 
ところで、叙上の如き聖僧の生活態度は、この法巌寺に於いて、はしなくも次のような事件を生じせしめた。
 
聖僧の知人に肥後の熊本の浪人平野何某というのがあって、一家を揚げて、大阪迄引き移って来たものゝ、知らぬ土地のことゝて急には住家も見付かりそうには思えない。平野は法巌寺に聖僧のいることを思い出して訪ねて行くことにした。
 
聖僧は非常に喜んで、この珍客を迎えた。事情を聴いてみると、平野の一行は、上下二十人ばかりという多人数であった。しかし、聖僧は、この多人数を寺へ泊めてしまったのである。
 
一行は、喜び勇んで、毎日のように、住居を探す傍らではあったであろうが、諸々の見物、諸方の参詣などに出掛ける。
 
斯くて一ヶ月ばかり経ってから、大阪に於ける曹洞宗寺院の住職一同が町奉行所へ招び出されることになった。浪人上下の者、多く法巌寺に宿泊していることを先ず町目付が見付けたものだから、これを奉行所へ訴え出たのである。
 
その住職出頭の前夜、触頭の寺院に集まった住職一同は、我も我もと、口々に聖僧の無智と無頓着加減の度の過ぎることを非難した。
 
元来、浪人に対する徳川幕府の取締方は厳しく、殊に、大阪城下では、槍、長刀といったふうな武器を持った者の、町場に宿泊する場合には、これを宿泊せしむる者は、そこの役人まで断り、役人は、町奉行へ届け出よという掟になっている。寺院宿泊の場合に於いてもまた然りなのであって、宿泊を引き受けた者は、必ず触頭まで届ける。触頭はこれをもって町奉行へ届けるべき掟となっていた。その叛くべからざる掟に叛いたという訳である。
 
何といっても、この事は、聖僧の手落ちだということになった。のみならず、大阪の曹洞宗寺院の住職一同が奉行所へ出頭するなどとは、前例のないことではないか!
 
そこで、一人の住職は、―

「それにしても、いったい、幾日程の滞在じゃ」と訊いてみた。

それに対して、聖僧は、正直に答えた。

「この御武家でござるか?この方は、熊本に於いてのお歴々で,すこしも胡乱な御仁ではござらぬために、かように久しくお泊めした訳なのじゃ。左様、実は、去月中旬に来られたのじゃから、三十二、三日にもなりますでしょうか…

「三十二、三日ではのう。いや、全く…」

全くほかの住職たちも呆れ返った。

最後になって、住職一同は、明日奉行所に於いて正直に答えた場合にはどんなお咎めを受けることになるかもわからないからと、桃水に対して、呉々も注意を促して引き揚げた。
 
その翌日になって、住職一同は、直接、奉行から取り調べられ出した。思ったよりは事件の成り行きは険悪そうであった。
 
住職一同に対して、奉行が尋問したことは、この頃、聞くところに拠れば、法巌寺に槍長刀を持つ浪人二十人ばかりが宿泊しているそうであるが、それは事実であろう。いったい幾日になるか、ありていに白状致せ、というふうなものだったが、その眼は、既に早くも怒りの形相を現わしていた。そして、奉行の声は、破鐘のように響いた。
 
しかし、昨夜の約束を思い出したために、聖僧は奉行から聞かれたことには何とも答えないで、殊勝げに平伏しているだけの話であった。
 
そこで、桃水に代わって、触頭の住職は、噂如何に関わらず滞在日数は、僅々一両日に過ぎぬと答えた。それから、ほかの住職一同もまた、それに相違ないという答えをした。奉行は余りにも白々しい答えだと思った。怒りは二重に増した。三重、四重に倍加した。奉行は、去月下旬に見た者のあることを知らすと共に、強いて、虚偽の申し立てをする場合には、出家たるとも、容赦しないぞと申渡した。しかし、触頭の住職は、依然として前言を繰り返すばかりである。
 
その時になって、それ迄は黙っていた聖僧が頭を上げて、こういった。

「私から申し上げましょう。只今触頭の申されたことは、昨夜の内相談の通り申し上げましただけのことで、実は、滞在は去月中旬からに相違ございません。」
 
奉行は、この子供のように正直な男の告白は非常によいと思ったゝためであろう、その後は、それ以上の咎め立てはしないで、一同を釈放することにした。