仏教による幸福への成功方式 #43(第五章ダンマ 縁起 富は具体的につかめ)

富は具体的につかめ

仏教徒は金について時々気持ちが分裂してしまいます。金はけがらわしいと考え、又一方で金がなければ何事も出来ないと考えます。
どちらも正しいのです。金、金と人間性を無視して金に執着すれば、その金はけがれます。執着の念が移っているからです。しかし金が無ければ生活も修行も出来ない。そこで五つの幸福をつかむ為に第一番の道具として富というものが必要であることが納得出来ます。しかし従来富はただ集めたいという欲の結果が多かったのです。あなたも実業家もすべての生活者は富は正しい報酬として頂くという考え方に変わらねばなりません。儲けてはいけないのです。正しい努力の果なのです。さてその富を必要として念ずる時、人々は漠然と祈ります。これでは願はかないません。あなたはどれ程を必要としそれだけを得たならばいかに正しい生き方に役立てるかをはっきりさせねばなりません。

こうして具体的に富の分量と使用目的がはっきりしていれば金の奴隷になったり死に金をかくしこんだりせんですみます。具体的であることが具体的な幸福をもたらします。祈念法を使うにも目的は常に具体的でなければなりません。富が具体的であればそこに行きついて満足することが出来ます。第一の目標で満足して、次の一段高い欲求の必要を見つけ出したなら第二の目標を立てて下さい。何度高めてもよいのですがその都度満足を味わうことを忘れないように。さもないと満足を知らぬ餓鬼に落ちるおそれがあるので。

「無病は第一の利。満足を知るは第一の富。信頼は第一の親族。涅槃は第一の楽なり」(法句経)



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