一切施

    『一切施』         
先ずは財を施す
それにつれて身と心を施す
やがては真理法真実を施す
 先ずは形を行う
 それにつれて心が培われる
 やがて身心理法一体になる
天地一切はすべてを己に施す
天地一切への施しをうながす
天地の理法は一切施と教える
               
[一切施] サンソも水も太陽熱もその一切を私に施して止まない。何らの見返りを求めず言挙げもしない。自らの在るがままによって施している。人がもし天地の産物、天地の変身であるならばその本質は施でなければならない。

  『天地一切から施されて生きる人の本質もまた施』
 自我欲が満たされるから感謝するのでなく、人間に備わった本質の自己表現として施すのである。釈尊は一切が縁起相関すると真理法の把握をされ、その一体化として施身施法に生きられた。仏教者に限らぬ真の生き方がそこにある。