生き方メッセージ #15(究極の生)

  『究極の生』        
真理真実があるとすれば
それは自分を超えるもの
そこに崇高な価値がある
 主義主張は人間本位のもの
 それは堂々巡りとなるもの
 自我中心をかきたてるもの
真理真実を体験把握すれば
自我は真我へと昇華されて
人間の究極の生き方になる
              
[究極の生] 経済的に豊かになり、文化的にさわがしくなり、あぶくの様な生き方が一般化してくる中で、何の為に生きるのかと問い続ける事は至難になる。一方で反動的に究極の生き方を求める者が現れるのも自然である。

      『人は究極の生を想定し得る価値存在である』
 自我欲をみつめる程に熟成してくると人はそこに虚しさを感じる様になる。この虚しさを埋めるのは自己の価値化しかない。そこから真の価値追究が始まり真理真実への到達、その内容の自己実現、真我への転換的生き方となる。


[究極の生] 究極というと何やらオ-バ-に聞こえましょうが、いわば理想的な生き方、これを求めるかどうかですね。せっかく豊かになったというのに、レジャ-空費、文字通り航空運賃を払ってああ面白かったでは、何やら申し訳ない人生になるようです。

 かりに究極の生き方を求めるとしたら、真理真実に合致するというか、その内容を自己実現してゆく、そうした全現人生が想定されるでしょう。何故なら究極は真理真実であり、その人が生かされるという事はその人に於ける全現となる事だからです。そうした事への強い実現願望を持つ位は誰でも可能です。自分の生き方の一部分にそうした願望を持つ事で、まるで違う人生になる事でしょう。


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