仏教による幸福への成功方式 #38(第五章ダンマ 縁起 因縁果が仏教の根本

第五章 ダンマ「縁起」(根本原理)

これある故に かれもあり
 これ生ずれば かれ生ず
 無明によりて 行生じ
 乃至 老死の 苦悩あり。
 これなき故に かれもなし
 これ滅すれば かれ滅す
 無明滅すれば 行滅し
 乃至 老死の 苦悩滅す。


因縁果が仏教の根本
因があって縁が働いて果が起きる。この縁によって起きるので縁起と言います。仏教の大原則、因+縁=果はいかなる問題にもあてはめることの出来る真理であります。従来の科学は因果関係のみを研究してきましたが、それに縁が加わらねば何事も正しく判断できないのです。男と女が因で縁があって結婚し、初めて果という子ができるのです。迷いの故にさとりあり、人々ある故に仏陀あり。しかし仏教は単なる真理や理論の追求で満足するのでなく、常にあなたの苦しみと人々の苦しみを解決し真の幸福に役立てようとするものです。真理が目的でなく真の幸福が目的です。人々の役に立ち、そして利益になることを有意義であるという。しかも真理にかなうことを正法にかなうと言います。この二つ正法にかない有意義であることが仏教原理の原則ですから、あまり人生の苦しみの解決に関係しないことは遠慮すべきであり、又逆に、貧乏の問題でも人生につながるときは無視してはなりません。

 助け合い-これある故にかれもありというのは一つだけ独立して存在し得ない。すべてが助け合い依りかかり(相依相資)であってこれを無視してはいけないという教えです。仏陀世尊にしても極楽で一人ぼんやりしておられる方ではなく、常に大衆の中にあり上にありで教導なされているのです。

 石ころ一つでも下に地面がなければじっとしておれないのです。どんなに気の強い金持ちで人の世話にならぬと威張ってみても太陽や水や空気の世話はただで受けているのです。この相助け合い(縁起)が分かれば自然と感謝の気持ちとそれに対する恩返し(施し)がしたくなるものですが、まだ喜びの実感が湶かないとすればそれは苦果におしつぶされているからです。しかし安心して下さい。いかなる苦しみも解決策を世尊は説いておられます。苦果は苦の因と苦の縁によって出てきたのです。だから因と縁とを取り去れば果はなくなります。これが縁起の法則です。

 重なり合ってはてしなし-自分という網の目は沢山のまわりの目によって支えられているのです。この中一つの目でもつぶれると皆ゆがんでしまうのです。この互いに助け合い重なり合っているのを(重々無尽)無視して自分だけの幸福を狙ってもだめです。自由主義ということは、自己のみについてでなく、他人についてもその幸福を願うのが自由にできるということでありたいです。

「もし物(rupaルーパ色と漢訳す)に固定した我があればその物に病苦が生ずることもなく、またその物に『こうなれ』とか『ああなれ』とか言うことも出来ないであろう。 しかし物には我がないから物に病苦も起こることがあり、又物に対してこうなれとかああ なれとか言うことが出来るのである」(無我相経)

 すべてのものには、どうしても変えられないという本来、固定したものはないのです。粘土を水でこねると柔らかくなり人形や芸術品まで作れます。ところが水分が干いてしまうとゆがんで変形してしまいます。それをたたきこわすと、もとの粘土の粉になります、この粉に俺は人の言う通りにはならぬ、たとえ酒でねっても柔らかくはならないと頑張るような我なんてないのです。粘土を焼けばもう水でねっても柔らかくはならず、変わったものになります。水の縁を加え、火の縁を加えると違った果となります。すべては変わりゆき、我という本体はないのです。この因と縁と果の根本原理を知ってすべての問題を解決すれば苦果はすべてなくなります。これを物の方から幸福を作るか、心の方から幸福を作るかは、その時に応じてゆくべきですがいずれにしても物が多くても、少なくても幸福になれる仏教は素晴らしいものです。

 人間のすべての苦果、生病老死などの四苦八苦はすべて縁起の原理の通りなのですが、善因善果、悪因悪果を信じ、先祖からのと自らの悪因とを、勇気をもって善因に転換しましょう。そして力及ばぬところをみ仏にもすがりましょう。しかし何もかも初めから投げ出してはいけません。適者生存という原則はあなたを例外にしてはくれないのです。

 無明によって行生じ、乃至老死の苦悩あり-これを少し説明すると、無明(無智)から迷いの行為(決意したり口で発言したり、身体で行動したりする)が生じこの盲目的行為から、意識が生じ、肉体が生じ、六官が生じ、觸感が生じ、感受を受けるようになり、そこに愛着が生じ、選び取りが生じ、物をひきよせ、やがて生が生じ、老病死や憂い悲しみ苦しみ悩みが生じてくる。無明の結果が苦果となってくるのを流転縁起(生成流転して行く)と言い苦果を滅して善果を得る為に苦因と縁をさかのぼって滅してゆくつまり解きほぐすのを還滅縁起と言います。この流転縁起の原理をよく知って還滅してゆく精進をするのが仏教徒です。この無明その他十二の問題は十二因縁と呼ばれていますが、要するに無明の心の開けないことが迷いの行動をさせ、感覚的な快楽をのみ求める執着心が生じて苦悩のもとになる。だから智慧を習って執着を捨てれば苦悩はなくなるということです。この原理は必ずしも時間的流れを説いてあるのではないのです。因果の考え方に二通りあります。

 異時因果-時間的たてのつながり
 同時因果-空間的よこのつながり
 
縁起の法則はこの両方を含んでいるものですから御注意下さい。

「すべてのものは無常なりと智慧によりて見るとき、苦しみをいとう心が起きる。これ清浄に至る道なり」


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