経集 88

88 自ら制して念あり、無罪の句に親しみつゝ、法句の善説せられたる道中に生活する所の者を、第三の比丘たる道による生活者と云ふ。南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 五 淳陀経 三三頁)
充分に説き明かされた真理の言葉を、道として生き、自らを修め、深く物を思ひ、過ちを離れた言葉に従って行動するものを、修行者の中の第三の「道に生きる者」と呼ばれる。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)
よく説かれたる法句の道に活き、自らを制し、正念あり、あやまりなき道のものをビク中の第三活道者と呼ぶなり。(田辺聖恵訳)
宗教者とは道に活きる者である。開祖釈尊によりて説かれた法句に従いその戒めを守り、心を覚りに向けて開いているならば、未だ完全な覚りを得ていなくても聖者である。まじめであることこそ、仏教者第一の条件であろう。弁解をせず、法句により忠実ならんとする時、自ら光明もさしてくるものである。田辺聖恵