真のリーダー

「真のリーダー」
 釈尊の仏教が、多くの信仰や宗教との違いを見せるのは、開祖である釈尊自身が真のリーダーであるという事である。人間を超絶した偉大な力や絶大な愛を持つとされる神や仏けを、信仰の対象とする宗教においては、その対象をリーダーと考える事は出来ない。超絶者を仲間と考える事は出来ないからである.。
 「リーダー」とは仲間の一員であって、しかもその仲間を正善に導く、と同時に共に歩む者である。今、同時にとする所を同事とミスタイプした。だが実は、同時よりも同事、同じ事を行う、これが釈尊仏教の特徴なのである。事を同じくし得るかどうか。
第六十一項(三宝法典 第二部 第六十一項 反省の日)は「三宝聖典」の中の名所である。この三宝聖典は大部な「南伝大蔵経」群の中から在家信者向けに特集したものであるが、その中にはいくつもの感動に満ちた名所があるが、ここはその中の一つとして、特にご縁のある皆様にご紹介したいと念願する所である。南伝大蔵経アーガマ=伝承=原始経典)の一部現代語訳はすでに本としてかなり出版されているが、教理面が主に取りあげられていて、思想書という印象しか与えない。
 宗教書は、宗教つまり人々がどの様に精粋な生き方(死後まで含め)をしたか、すべきかを中心とすべきものであるはずだ。だが仏教において、人間としての釈尊が明らかになり出してから百年そこここにしかならないから、人間としての取りあげようがしにくい。
 「三宝聖典」はその様な観点から、非力をかえりみず私が特集したものである。これを世間に出す為にと発願して、三宝会を始め、三十年近くにもなってしまったが、それも間もなくという所である。
 さて、本文を一読して頂けば、何らの解説もいらないほど、明瞭に、釈尊とその弟子衆の在り方が分かるであろう。これは恐らく、最晩年の事と思われる。四十数年も弟子衆をリーダーとして導いてこられた釈尊ご自身が、例年行われる反省会において、その仲間の一員として発言をされる。しかも自分にあやまちがあったら、指摘をしてくれと云われるのである。永年師事してきた弟子衆はこの時、どのような感動を持つたであろうか。いかにも不肖な弟子ではあるが、生身の師を持つ私としては、言葉の発しようもない感動を覚える次第である。超絶者としてのご本尊などに対するのとは、やはり異質な感動と思えるがいかがなものであろうか。
 今日は宗教時代とさえ云われる。それは敗戦後、神も仏けもあるものかと、何もかも権威を捨ててしまったが、それでいいのかという反省というよりも、より深刻な不安の時期になってきているという事である。宗教を持たない日本的民主主義は己を神とするに等しい。ところがお金だけ物だけ追いかけている内は、己を神のように絶対化している事に気付かなかったが、一段落してみると、己という神がドロ人形のようにまことにもろい存在である事に気付き出したという事である。
 法華経というお経に四十年も家出してさまよっていたムスコが、ようやく親の存在に気付くという例話がのっているが、敗戦後四十年、年令も四十歳といった所に、人生の難所に気付くポイントがあるようだ。
 二千五百年の前、生身のブッダ釈尊にご縁が出来た弟子衆のように、感動に満ち満ちて、その師仏に仕え、自らも精進にいそしむという事はもうとても望めないだろう。だがせめて、そうした事実がくり返えされていたという事を知ることで、いわば感動のおすそ分け位は頂けよう。せめてその位の感性は持ち合わせているに違いない。
 「生身のブッダ釈尊」にまみえる事は、私も含めて至難な事であり、今後もその至難さは何百年かは続くであろう。だがいつかは、そうした人々が現われるに違いない。観光仏がそうそう続くものでもない。
 釈尊が亡くなられてから次第に形式化してゆく伝承を、何とか釈尊の真意に返えそうと立上った人々が登場するのに五百年がかかっている。真の釈尊仏教が回帰現象するには、それなりの年数が要るのであろう。
 だが、どんな時代にも真の法水は流れついで止まないものである。その法水に触れる事は、少々の志向を持てば可能なのである。何と希望に満ちた時代、場所であろうか。真のリーダーとしての釈尊は、求める人にはその姿を全心身をもって現わして下さるのである。そこに新しい民衆主義が形成されるに違いない。まことに有難い事ではある。
(三宝 第161号)                 田辺聖恵