原始仏教講座 第六講(最終講) その八

第六講 その八
 次に行きます、先祖供養の話を本来は「縁」の所で、入り口の話ですべきでしたが、時間をカットしたために抜きましたので、ごく簡単に。
 先祖供養というのは宗教ではないということです。日本では坊さんがお経をあげて、先祖さんにお経をあげる、それで先祖供養、それが宗教であると思ってしまうんですね。例えばお墓参りする、これは宗教であると思っている人多いんですが、これは道徳なんです。
 じゃ先祖供養は道徳だから宗教と違うからやらなくていいかというと、道徳は道徳で必要ですね。道徳は道徳として必要であるし、宗教は宗教で必要である。お釈迦様は先祖供養は子孫として先祖供養をしなさいと、時に応じて先祖の霊を弔えと教えてあるわけです。  坊さんがお経をあげる事が先祖のお位牌に向ってお経あげる事が宗教活動、何か道徳だか分らないような風な日本のあり方を言っておられるのではないわけです。
 先祖供養は信者自身が親子の道として、生きている親に親孝行する、その生きている親が死んだ場合は先祖、だから生きている時に親孝行をしたように、死んでから先もこういう風になって下さい、こういう風にご供養しますよという、一つの気持ちを表わす、それが先祖供養ですね。そういうことが何になるかというと、そういう先祖を大事にする、あるいは生きている親を大事にする、あるいは生きている親を大事にするような心が、初めて自分がまた大事にされるわけです。所が今の人はほとんど先祖供養をしないですね。先祖供養しないから、先祖を大事にしないから、今度は自分が先祖になっても、あるいは親になっても大事にされないという悪循環をするわけです。
 だから坊さんの方は先祖にお経をあげることは、お経あげることが宗教活動と思って、思い違いをしてただお経をあげている、それが何か宗教活動しているように錯覚をするんですね。