原始仏教講座 第一講 その十

第一講 その十

お釈迦様は45年間旅から旅に人々にお話をなされた。正導、正しく導く、インドの言葉でニデッサといいます。これは唱えて、唱えてとは口で言って唱えて導くというのがニデッサなんです。お釈迦さまはそのニデッサをなさった。お話をなさって導いた。

それを私は正しく導くという言葉に言い換えているわけです。「正導」、その正導、正しい導きを、お釈迦様はなさった。しかし全部無報酬、一銭も貰わない。お釈迦様の時代の戒律、決まり、修道者、坊さんとしての決まりには、「金銀財宝受け取るべからず」となっている。金銀というのはお金、財宝、インドでは宝石が多い。お金の替わりに宝石を貰うということもあり得る。そういう金銀財宝を受け取ってはならない。要するに簡単に言うとお金を受け取ってはならないというのが、坊さんとしてのルールなんです。日本ではもうそういうルール全然通用していない。全部お賽銭、結局お金ですから、本当はそれはルール違反。現代的に物でというが、金銀財宝というのは財は物ですから、物も受け取ってはいけない。

ではお釈迦様達はどうして暮らしていたか。野宿でしたから、物はいらない。受け取っていい物は何かと言うと、托鉢して一日一食ご飯を頂く。それから三衣一鉢といって、三枚の着物、これは坊さんとしての日常の服、着物です。儀式用の衣ではない。日本では儀式用と日常と使い分けている。葬式のときは金ピカの刺繍したような高価な、花嫁衣裳より高いような、金糸銀糸で刺繍してある。歌舞伎役者が着るようなもの。誰が負担するのか、皆檀家が負担する。お金いるんですね。だからこれは皆ルール違反です。田辺聖恵

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