三宝法典 第二部 第七八項 最後のみ教え

 最後のみ教え

時に夜は次第にふけて、林の中は静けさそのものとなり、世尊はもろもろのビク
らのために、略して法の要を説きたまえり。

「ビクらよ、わが入滅を見て、正法はここに永久に絶えたりと思うことなかれ。われかつておんみらのために規律を制定し、法を説けり。わが滅後、必ずこれを敬いて、くら闇に明かりにあい、貧しき人の宝を得たるがごとくすべし。これおんみらの大師にして、われ、世にある時のごとくこれを守るべし。

ビクらよ、奴れい、畜生をたくわえ、商業し、たがやし、うらないをなすことなかれ。身を節し、定めの時に食して、清浄なる白活をなせ。俗事にまじわり、使いをなし、呪術を行い、仙薬をもてあそび、高貴の人に親しむなかれ。必ずみずから心を正しくし、覚りを求むべし。きずをかくし、異なるところを現して、人々をまどわしむるなかれ。衣・食・住・薬につきては量を知り、足るを知りて、ことさらにたくわゆるなかれ。これ規律を略して説きたるなり。

規律はこれまさしく解脱に至るもとなり。サマーディおよび苦を滅する知恵はこれより生ず。このゆえにビクは規律を保つべし。規律を保たば善なり。もし保たざれば諸善も功徳も生ずることなし。規律は第一の安らぎの、功徳の住み家なることを知るべし。

おんみらすでに規律に住むなり。まさに五官をおさえて五欲に入らざるがごとくなすべし。牛飼いが杖を示して牛に人の苗をおかさせざるがごとくせよ。もし五官をほしいままになせば、その人を禍いの穴におとし入るるなり。その禍いは、いく世にも及びてはなはだ重し。されば智者は五官をおさえてこれに従わず、ほしいままになさするも間もなくこれを滅するならん。

この五官は心を主となす。さればおんみらまず心をおさゆべし。心のおそろしきこと毒蛇、悪獣、盗賊よりもはなはだし。さかんなる大火もおよばず。心をほしいままになさば善を失う。この心を一所におさゆれば、なに事もかなわざることなし。さればおんみら必ず、精進して心を折伏すべし。

おんみらもろもろの飲食を受くるに薬を飲むがごとくなせ。善きにも悪しきにも心うごかさず。わずかに身をささえ、飢え渇きをのぞかば足るなり。多くを求めて人の善き心をそこなうなかれ。

おんみら昼は精進して善き法を修め、時を失うことなかれ。夜の初めにもあとにもこれを止めず。なかほどには経を唱えてのちに休むべし。眠りのために一生をむなしくすごすことなかれ。無常の火はもろもろの世間を焼けり。これを思うておのれを救わんとなすべし。いたずらに眠ることなかれ。もろもろの煩悩の賊はつねに人を殺さんとうかがうなり。みずからをいましむべし。

煩悩の毒蛇がおんみらの心の中にて眠るなり。規律を守ることのかぎ棒をもってすみやかにこれを除くべし。毒蛇が出でたれば安らかに眠るべし。いまだ出でざるに眠るは恥じざる人なり。恥じ入る心の服は、飾りの中で第一のものなり。恥じる心は人の悪しき行いをおさゆるゆえに、つねに恥ずべし。もし恥じる心をはなれなば、もろもろの功徳を失うなり。恥じる者には善あり。恥じざる者はけものとことなることなし。

おんみもし、きれぎれに切りきざまるるとも、心を修めて、怒り、うらむことなかれ。口をとじて悪口なすなかれ。怒りをほしいままになさば、みすから道をさまたげ、功徳の利を失うなり。

忍ぶの徳は、規律を守る苦行よりもすぐれたり。ののしりの毒をも喜びて忍びえざるものは、道に入りたる人、知恵の人と名づけず。怒りはもろもろの善を破り、善き名を失い、現世、来世の人は逢うことを望まず。

怒りの心は猛火よりも恐ろし。つねに守りて怒りを入らしむるなかれ。功徳を盗む賊は怒りが第一なり。在家の修行をなさざる人の怒るも悪しく、出家の修行をなすものの怒るははなはだ悪し。

おんみらみずから頭をなずるべし。すでに飾りを捨てて、色をこわせし衣をつけ、鉢をもち、食を受けて自活なすと念ずべし。もしたかぶりの心おこらば、すみやかに滅ぼすべし。たかぶりを増すは在家の人にもよろしからず、ましてや出家して道に入り、解脱のためにみずからの身を調え、食を乞う者はなおさらなり。

おんみら、へつらいの心は道に相違す。ゆえに心を正直になすべし。へつらいはあざむきなり。心を正しく素直にすべし。

おんみら欲多き者は、利を求むることも多きがゆえに苦悩もまた多しと知るべし。欲少なき者は、多くを求めざるがゆえに、このうれいなし。少欲のみすら学習すべし。ましてや少欲にもろもろの功徳が生ずるなればなおさらなり。少欲の人はへつらいて人の心を求むることなし。また五官の欲のためにひかれず。心、平らかにしてうれいなく、余裕ありて不足なることなし。少欲なる者に覚りあり。

おんみらもろもろの苦悩をのがれんとせば、足るを知るべし。知足の法は富みて安楽なるところあり。知足の人は地上に寝るともなお安楽なりとす。足るを知らざる者は、天堂に住むも満足せず。足るを知らざる者は、富めるも貧し。知足の者は貧しといえど富めり。

おんみら、心しずまりて、覚りの安楽を求むるなれば、さわがしき所をはなれて、静かなる所に住むべし。静かなる所に住む人は帝釈天も敬うなり。ゆえに大衆をはなれて一人静かなる所に住み、苦を滅するもとを思うべし。衆と共なることを願う者は、もろもろの悩みを受くるなり。たとえば大木もあまたの鳥集まれば枝折れなすがごとし。世間のわずらわしさは、あまたの苦をもたらすなり。

おんみら、もし努めて精進なさば、なし難きことなし。わずかなる水もつねに流れて石をうがつがごとし。もし修道者の心、しばしばおこたれば、何事もなし得ず。

おんみら、正念を求むべし。これおんみらの善知識、よき守護者なり。つねに正念なれば、煩悩の賊も入ることあたわず。正念を失えばもろもろの功徳を失う。もし念力強ければ、鎧を着て戦さに加わるがごとく、五欲の賊の中に入るとも恐るることなし。

おんみら、念を静めんとせば正定に入るべし。心が正定に入るなれば、よく世間の生滅のすがたを知るならん。このゆえにつねに努めて正定を修習すべし。定を得たる者の心は散ることなし。堤をよく整えて水をもらさざるかごとく、おんみらもまたよく正定を修めて、知恵の水をもらさざるべし。

おんみら、もし知恵あればむさぼりなし。おんみらつねにかえりみてこれを失うことなかれ。かくのごとき者は、わが法によりて解脱を得るなり。さもなくば道に入れる人にあらず。また在家者にもあらず、名づけようなし。まことの知恵ある者は、老病死の海を渡る堅固なる船なり。無明、くら闇における大いなるともしび、すべての病める人の良薬、煩悩の木を切る斧なり。おんみら聞き思い、修める知恵をもって、みずからを利益せしむべし。知恵明らかなれば、肉眼なりとも明見の人なり。

おんみら、種々たわむれの議論をなさば、心乱るるなり。たとえ出家なすとも解脱は得がたし。心しずまりの楽を得んとせば、悪しきたわむれの議論を止むるべし。

おんみらもろもろの功徳に対し、一心になりてわがままを止むるべし。おんみら勤めてこれを行うべし。山あいにあるも、池のほとりにあるも、木の下にあるも、静かなる部屋にあるも、受けたる法を念じて忘るることなかれ。つねに勤めてこれを修むべし。なすことなくして、むなしく死すれば後に悔ゆるべし。

われは良き医師が病いを知りて薬を説くがごとく、薬を飲むと飲まざるとは医師のとがにあらず。また善く導く人の善き道に導くがごとし。これを聞きて行かざるは、導くもののとがにあらず。

おんみらビクらよ、もし苦集滅道の四聖諦に対して、疑いあらばすみやかに問うべし。疑いをいだきて、決定を求めざることなかれ。」

時にアヌルッダ、人々の心を察して申し上げたり。

「世尊、月を暑くし、日を冷たくなすことを得ても、如来の説きたもう四聖諦の道理を変ゆることを得ず。如来の説きたもう苦諦は実に苦なり、楽となし得ず。集諦はまことにこれ因なり、さらに別の因なし。苦が滅するは因の滅なり。因滅するがゆえに果滅す。苦滅の道は実にこれ真の道なり、さらに別の道なし。

世尊、このもろもろのビクは、四聖諦に対して疑いなし。この衆の中にいまだ覚りを得ざるものは、世尊の入滅をみて悲しむならん。もし初めて道に入りたるものは、夜、電光をみて道を知るがごとく、世尊のみ教えを聞きて解脱を得るならん。もしすでに覚りを得て苦しみの海を渡りたる者は、かくのごとく思えり。なにゆえに世尊の入滅はかくもすみやかならんと。」

世尊、もろもろのみ弟子をあわれみて、さらに堅き道に入らしめんとして、大悲のみ心をもって説きたまえり。

「おんみら、悲しみ悩みをいだくことなかれ。たとえわれいと永き間、この世に留まるとも、会う者は必ず別るるなり。みずからを利益し、他を利益なす法はすべてそろえり。われ久しくこの世に留まるも、この上にことなることなし。

解脱せしむる者は、天神、人間ことごとく救えり。いまだ救われざる者には、すでに救わるるべき因縁をなせり。

今よりのち、わがもろもろの弟子、互いに伝えてこれを行うなれば、如来法身はつねに存在して滅することなし。まことに知るべきは、世は無常なり。会うものは必ずはなるるなり。うれいをいだくことなかれ。世の姿はみなかくのごとし。勤めて精進し、すみやかに解脱を求め、知恵の明かりをもって、愚かさの闇を滅すべし。」

遣教経(ゆいごうきょう)(漢訳)
南伝にこの文なし