三宝法典 第二部 第六八項 法の鏡

 法の鏡

世尊はコーティ村にいたり、林に入りてビクらに法を説きたまえり。

「ビクらよ、四聖諦を悟らず、通ぜざるがゆえに、かくのごとき長き間、われもおんみらも共に流転し輪廻したるなり。されどビクらよ、この苦集滅道の四聖諦を悟り、これに通じたるがゆえに生存への執着をたちきり、生存へ導くものを滅しつくしたり。今よりのち、さらに生存あることなし。」と。

師にして主なる世尊は、四聖諦に関し、詳細に説き明かしたまい、またさらに規律と静思と知恵(戒定慧の三学)に関し、もろもろの煩悩より正しく解脱なす法に関し説きたまえり。

これより世尊、コーディ村よりナディカー村に入り、煉瓦堂にとどまりたまえり。

時にこの村に疫病はやりて死する者多く、ビクのサール、ビク尼のナンダー、在家信士のスダッタ、カクダ、カーリンガ、二力夕および在家信女のスジャーターなども死せり。

アーナンダは世尊に、かれらの死後の生まるるところとそのありさまを問いたれば、世尊仰せられたり。

「サールビクはこの世において煩悩を滅し、心解脱と慧解脱を実証し、到達せり。ナンダビク尼は煩悩をたちて、ふたたびこの世にかえらず、カクダら五十人以上の信士は天上にて覚りに入り、煩悩を滅してふたたびこの世にかえらず、スダッタらの九十人はひとたびこの世に来たりて、苦の因を滅するならん

また信士の五百人は、信仰の流れに入り、三悪道におちることなく、必ずや正覚にいたるなり。

アーナンダよ、人の死するは不思議ならず、しかるに死あるごとに来たりてその行先を問うはわずらわしき事なり。われ今おんみらのために法と鏡を示して、わが弟子らの生まるる所を知らしめん。

この法鏡の教えをそなえたる聖なる弟子はもし欲するなれば、みずからのおもむく先につきて記別なる予言をなし得るならん。

『われに地獄は滅し、畜生道は滅し、餓鬼道は滅し、苦なる世界、悪しき所、落ちゆく所は滅し、不退転のものとなり、正覚におもむくことを決定せん』と。

この法鏡の教えとはいかなるや。聖なる弟子はブッダに対し、こわれざる正信を有するなり『世尊は如来、応供、正等覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈大、天人師、ブッダ世尊にて、こよなき世間の帰依所なり。』と。

第二には正法ダンマヘのこわれざる正信を有するなり『ダンマは世尊によりて善く説かれ、正見にして仮りならず。来たりて見よと言われたる、ニバーナヘ導くたぐいなき、識者の知るべき真理なり。』と。

第三にはサンガヘのこわれざる正信を有するなり『サンガは世尊の弟子の和合衆、善く正直に修行なし、正しく暮らし道に入る、四組八人の衆にして、礼賛供養に値いする、こよなき世間の福田なり。』と。

さらに世尊は、ビクらにあまたの法話をなしたまえり。『規律とはかくかくなり、静思とはかくかくなり、知恵とはかくかくなり。かくて無知と煩悩より全く解脱す。』」と。


南伝七巻五四頁長部第一六大般ネハン経
南伝七巻二〇五頁長部第一八ジャナバサバ・スッタンタ(類似経)
アラハン果 不還果 一来果 予流果(四果)
―修道の結果四段階
三悪道(地獄・餓鬼・畜生道
不退転の位(四不壊浄信)
三宝帰依
三学(戒・定・慧)