三宝法典 第二部 第六七項 ゴータマの渡し

 ゴータマの渡し

時に世尊、アーナンダを呼びたまい、

「これよりアンバラテイカー園に行かんごと仰せられ、ビクらをともない、ラージャガハを出でて北なるアンバラティカー園に向かいたまえり。

世尊はアンバラテイカー園の王の家にとどまられ、ビクらに法を説きたまえり。

こは規律(戒)なり、こは静思(定)なり、こは知恵(慧)なり。規律と共に修められたる静思は大いなる利益あり、静思と共に修められたる知恵は大いなる利益あり。知恵と共に修められたる心は、欲の迷い、無明の迷い、すべての迷いより全く解脱なすなりと。

かくて世尊はアンバラティカー村より、ナーランダーのパーバーリカ・アンバ林に入りてとどまりたまえり。

時にサーリプッタは世尊のみもとに参り、つつしみて礼拝し申し上げたり。

「世尊よ、われは世に世尊よりすぐれしもの、また世尊と等しく法を悟りし者が、過去、現在、未来にわたりて、一人もなきことを信ずるなり。」

サーリプッタよ、おんみは偉大にして大胆なることを言えり。おんみは過去あまたの正等覚者の心を知りてかく言うや。」

「世尊よ、われ、三世の諸仏につきて知りつくすことあたわずとも、世尊によりて法の次第を知ることを得たり。三世の諸仏もまた五つのおおいかくしを捨て去りて、人を弱らする心のけがれを知り、四念所に住み、七つの覚りの法を修めて、正等覚を成就したもうと知ることを得たり。」

この事ありて世尊は、アーナンダをしたがえてナーランダーを去り、弟子衆と共にマガダ国の国境なるパータリ村にいたり、城外の樹のもとに坐したまえり。城中の人々世尊の来たりたもうを喜びてそのみもとに参り、三宝帰依を申し上げ、休息所に入らんことを願い、世尊はこれを許されたり。

人々は休息所に敷物をひろげて席を作り、足を洗うために水がめを置き、油のあかりを立てて、世尊と弟子衆を供養なすべくお迎えし、法を受けたり。

「在家者らよ、世にむさぼりを好み、心ほしいままになし、規律をおかせる者に五つの損失あり。一つにはわがままにより食が大いに不足し、二つには悪しき名ひろまり、三つにはいずれの社会に入るも恐れをいだき、身あやうく、四つには苦しみ悩みて死す。五つには死したるのちに、また三悪道に生ず。

もし心へりくだりてほしいままならざれば、五つの得ることあり。わがままならざるゆえに食を大いに得、善き名ひろまり、恐れをいだくことなく、苦しみ悩むことなくして死し、死したるのちに善き所に生ず。」

世尊かくのごとく法を説きてはげまし、よろこばしめたまい、夜はすでに半ばをすぎたれば仰せられたり。

「夜はふけたり。おんみらよろしきに従うべし。」と。

人々は礼拝なして去れり。世尊は空家に入りて、浄き天眼をもって、神々がこの町を守れるを見たまえり。世尊は早朝、起きられてアーナンダに仰せられたり。

「アーナンダよ、このパータリ村の城を造れる者は何びとなるや。」

「マガダの大臣雨行が、大臣スニーダと共に国王アジャータサットの命を受けて、ワッジー国を防ぐために造れるものなり。」

「雨行は賢き者なり。あたかも神々と相談してなせるがごとし。この城は首都として栄ゆるならん。されど久しきのちに、大火と洪水と城の内外における反乱の三つによりてついにこの城は破らるるべし。」と。

大臣雨行は、多くの者を従えて、世尊のみもとに参り、礼拝なして坐せり。また翌日の供養のご招待をなし、法を受けたり。 

世尊は、雨行の家を去り、ビクらをともないて城の東門より出で、ガンジス河を渡りたまえり。雨行はお見送りをなして、その世尊の出でられし門をゴータマの門と名づけ、その渡しをゴータマの渡しと名づけたり。

世尊、ガンジス河に近づきたもう時、河は水みちて岸辺の鳥も水を飲み得る程なり。ある者は舟を求め、ある者は筏を求めて渡らんとせり。世尊は力士が腕を曲げのばすほどのわずかの間に、神通力をもって河のこちらより姿を没し、ビクらと共にかの岸に立ちたまえり。時に世尊は、みずから詩を唱えたまえり。

  世の人 筏をつくる間に
  深みをさけて 橋作り
  海や湖 渡るもの
  渡りたる者 賢者なり と。  
 

南伝七巻四〇頁長部第一六大般ネハン経
(倶解脱)
五蓋
四念所
七覚支