三宝法典 第二部 第四二項 プンナの決意

 プンナの決意 

世尊、サーバッティー祇園精舎にとどまりたもう時、プンナは夕べのサマーディより立ち出で、世尊のみもとに参り礼拝なして申し上げたり。
  
「世尊、略して法を説きたまえ。そのみ教えを頂きてわれひとり住み、熱心にはげまんと思えり。」

「プンナよ、心して聞くべし。眼の見る形、耳の聞く声、鼻のかぐ匂い、舌の味わう昧、身のふるる感触、心に思うことすべて心地よく、むさぼりの欲をひき起こすものなり。ビクにしてこれらを好み、執着なせば喜び生ず。
 
プンナよ、喜びの因は苦の因なりとわれは説く。ビクにしてこれらを好まず、執着なさざれば喜びほろぶ。プンナよ、喜びの滅は苦の滅なりとわれは説く。
 
プンナよ、この略したる法を受けて、おんみはいずれに住まんとなすや。」
  
「世尊、われはこのみ教えを受けて、西方のアパランタに住まんとせり。」
  
「プンナよ、アパランタの人々はあらあらしく、もしかれらのののしり、はずかしめを受くるなれば、おんみはいかになすや。」
  
「世尊、われはその時、アパランタの人々は善良なれば、手をもってわれを打つことなしと思わん。」
  
「プンナよ、もし人々、手をもって打つなればいかになすや。」
  
「人々は善良なれば、土を投げ棒をもって打つことなしと思わん。」
  
「もし人々、土を投げ棒をもって打つなればいかになすや。」
  
「人々は善良なれば、剣をもって打つことなしと思わん。」
  
「もし人々、剣をもって打つなればいかになすや。」
  
「人々は善良なれば、わが生命を奪うことなしと思わん。」
  
「もし人々、おんみの生命を奪わんとせばいかになすや。」

「世尊、かかる時、世尊の弟子は、このけがれたる肉体と生命をいとうて、刀にて殺さるるを求むるものあれど、望まずしてこのなしがたき死をわれは得たりと思わん。」

「善きかな善きかなプンナよ、おんみはかくのごとき、たえしのびをそなえてアパランタに住むならん。思いのままに行くべし。」
 
プンナは世尊のみ教えを喜び、衣鉢を持ちてアパランタに旅せり。その地に着き、み教えを広め、年のうちにおのおの五百人の男女信者をつくり、みずからも三明を得て、間もなくニバーナに入りたり。多くのビクら、世尊にプンナの死を申し上げたれば、世尊は仰せられたり。
  
「ビクらよ、プンナは賢者にてありたり。法を守り、法のゆえにわれを煩わすことなかりし、プンナはまことにニバーナに入りたるなり。」と。

南伝一一巻下三八〇頁第一四五教フルナ経
南伝一五巻相応部六処篇第一六処相応センダ品第五フルナ経
三明(宿命通・天眼 ・漏尽通)

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