全現 216号 ライフ・ワーク

全現 216号 1988年8月8日刊

「生涯・学習論」
-自伝的学習論-
                               田辺聖恵

  『生涯学習
   仕事に命を賭ける
   いかにも日本人好みの言葉
   仕事の道具に命があるのか
    自分で工作した命ではない
    まさに恵まれた命なのだが
    本質価値を知るのは難しい
   生涯 何かを学習してゆくのか
   生涯 生涯を学習してゆくのか
   この二途はやがて一つになるか

 生涯学習-宇宙にあるブラックホールすら次第に解明されてゆく。人間も生物的には随分と分かるようになってきた。心理的にも随分詳しくなってきた。だがその人間が何の為に存在するのかは相変わらずブラックホールだ。

   「学習が生涯を必要とするのは自己不明だから」
 古来宗教が人間の存在性を様々に解明してきたが、いまだに統一がない。という事はこれという決定論が無いという事だ。様々な生存外延を学習する事も大いに必要である。
だがいずれその生存中核を目指すという一種の宿命がある。

ライフ・ワーク
 
何かのライフワークを持つ人は実に生き生きとしている。ただ単に興味本位で浮き浮きしてのものではない事が一見して分かる。
いわゆる停年退職になって、数年もするとスッカリ老けこんでしまって、顔つきにさえ精彩がなくなると云われる。科学雑誌の名編集者、竹内均先生がかつて同窓会に参加した所、あまりにも諸氏が老けこんだ顔つきなので、それ以来参加しないと自著で述べておら
れるが、特にこの竹内先生の様に現在も第一線で仕事しておられる方にとっては、その感が人一倍強いものがあるだろう。やはりライフワークを持っておられる方は、さすがという違いがある。
 
退職後は地域に関わりを持てという説もあるが、長年、地域を考えずに仕事一すじで来た者にとっては、第二の就職より難しいのではなかろうか。いわゆる仕事というものは、人間関係のわずらわしさを薄めてくれる一種のカクレミノ的要素がある。人間関係にあま
りにも過敏な日本人にとっては、まさにこの上もない依り所となるのが仕事という事である。外国人が日本人の働き蜂ぶりを理解出来ないのは、こうした内面緊迫性に気付かないからである。
 
長い間の農耕民族性からくる勤勉性と私も思っていたが、どうやらそれだけではない事にこの頃、気付く事が出来るようになった。
つまりそうした点を私自身が、生涯をかけて学習してきたという次第である。少々こじつけてみると、天照大神、つまり原日本人の様な神様が、天の岩戸にかくれたという話から日本神話が始まる。これは人間関係のわずらわしさから逃れたいという、日本人願望を象徴しているのではなかろうか。
 
日本人は長い事、仕事と人間関係というハザマの中で息をひそめる様にして生きてきたと考えられる。こうした日本的内向性を研究テーマにしたら、ライフワークの最たるものになるのではなかろうか。と思い付きを云々する事も生涯学習論の一つの特質である。


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