全現 第204号  老屋千暖荘

全現 第204号 1986年11月8日刊

「老屋拝去」(全現稿141)
                 田辺聖恵

 「老屋拝辞」
人々との御縁を広げる為に
清水から より市内の老屋に移り
裏庭の二百坪を隅々まで切り開いた
 人々との御縁は有難く広がり
 印刷機械をひたすらに購入し支払い
 老屋を改修して印刷能力を増大した
人々との御縁をそのままに継続し
通信交流をもっぱらの態勢を整え
再び清水へ移転して老屋を拝辞した

 老屋千暖荘
 (尽師森 信三先生)ご転居の由 これで私もホッとしました
お目出度う 万才! です 本当に安堵しました
    マヒの右手もて   九十一才   不尽
 「語録」拝受 処々に 私からは不熟らしい語が散見いたします
が しかしそれらは何れも あなたらしい独自のものと思われます
 それはそれとして 誌友としては転居された 清水本町の様子や
あたりの様子が知りたいんじゃないでしょうかネ

朝 顔を洗おうとして台所にゆくと、壁の内側から朝陽があかあかと指している。何と屋根がハリごと落ち込み、その大きなすき間から陽が入るようになったわけだ。ビニールを冠せようもなくもろくなっているのに、ここは漏らない。仏け様と「南伝大蔵経」と国訳大蔵経百巻をお祭りしている所は、屋根一杯にビニールを冠せているのだがそれでも漏る。「雨の日には雨の日の生き方がある」と云う名文句があるが、雨漏りには多少ウットウしくならざるを得ない。しばらく雨が続いた後、ビニールござを上げてみて、これ又驚きである。ユウレイの様な生白いキノコが生えている。
 
敗戦直後、古工場を借り友人と二人でヤミ澱粉作りをしたが、寝泊りする当直室が雨漏り、次々とキノコが生えてくるのに、みじめな思いをしたものだが、再びこのキノコに出逢ってみれば、屋主さんから云われている立退きを考えざるを得ない。
 
そうした折に、次女が借りている家を移転するのでその後を借りないかと云う。今まで移転を渋っていたのは印刷機一式がすえられないという一点だが、幸いな事にこの家にベランダ風にコンクリが打ってありそこに置ける。これで決断と云う次第。
 
移転準備に何かとせわしくして所へ、尽師森信三先生からのお便りに、老屋について書いておけとの事、云われてみれば十八年間もお世話になったのだから謝意を表わすのが当然と思う様になる。
 
過去を語るという程の年令になっているわけでもないが、かれこれ二十年近くという事は、いわば二昔なのだから相当に記する所が無ければ、一体何をしていたのかという事にもなる。
 
昭和三十五年に三宝会というささやかな精神運動を起こして、二十七年ほどになるから、その間の十八年となれば、実践と実証の期間という事にならねばならない。はたしてその様になっていたか、と云う点て自己点検をせねばならぬ時でもあるようだ。