横井小楠先生を偲びて 1 緒言 (その四)

先生の偉大なる教化につきての話が、思わず長くなったのでここで打ち切るが、先生の生涯を概観すると、それは決して華やかなものでは無く、云わば明治維新の縁の下の力持ちであった所に先生の偉大さがあって、先生は廣い意味に於ける卓抜な教育家であったと云っても大なる間違いではないように思われる。
 
西洋の諺に「誤解は英雄の税金」というのがあって、兎角偉人には誤解が附き物であるが、我が小楠先生に對してはそれが深刻であって、幾回か刺客に狙われた揚旬、遂には其の凶刄に れたのみか、没後までも、久しく誤解と悪声とが消えなかった。

これは「出る杭は打たれる」という俗諺があり、シェークスピアもHigh place great dangerと云っている通り、先生の識見議論は当時にありては余りに進歩高邁で、世の嫌疑を受けるは当然と思われる程であるのに、それを時と場所とを顧みず極めて率直に有りのままに悉くを吐露するを憚らなかったのが主なる原因であった。又「偉人は郷国に容れられず」で先生の生国たる熊本では、感情も加わって、先生に對する毀誉褒貶は最も甚だしかった。

前に述べた如く、一世の俊傑をして傾倒せしめる先生であるだけに、一方には神の如くに崇拝する人も無論多いが、一方には先生をひどく毛嫌いする一派もあって、此の派の人達は先生の通称「横井平四郎」をまともにいうことさえ好まずに「横平々々」と呼びすてにしていた。

此の両極端の対立は年と共に大分緩和されはしたが、今日に於てもなおそのなごりが幾分残っている。

然るにも拘らず、本県教育委員会では、文化に功労のあった人士を物色して、第一に小楠先先生を選び、先生の八十周年忌に当たる本日をトして、その顕彰講演会を主催され、ここにかかる盛会を見るに至ったことは、我が熊本では未だ会って有らざる事であるが、大戦後我が国が文化日本、平和日本を建設せんと努力している今日、文化に功 あるのみならず、すでに百年の昔に世界の平和を提唱した-これに就いては後に述べるが-偉大なる教育家たる小楠先生を顕彰されようとすることは真に意義深きものがあって、私は此の催しに対しては深甚の敬意を表するものである。

先生に開係のある人々の満悦は申すまでもなく、先生も亦地下に於て会心の笑みを漏らして居らるることと思うのである。


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