横井小楠先生を偲びて 1 緒言 (その三)

 先生は言を立てて一世を始動したので、当時名ある政治家の仕事の中には先生の主義経綸より出たものと思わるるのがいくらもある。その又一方に於て先生は、肥後では小楠堂なる私塾を開き、福井賓師時代には藩学明道館に於て、親しく子弟を教授したが、先生の性格には教師として優れた点が多くあり、又先生の教学観にも大いに見るべきものがあったので、其の門下から優秀なる人材が雲の如く輩出した。

しかも、それ等の門弟は先生を神の如くに尊崇し、先生の持論抱負を継承しつつ邦家の為に尽瘁した。その最も顕著なるものを挙ぐれば福井藩由利公正であった。由利は先生の最も愛信した門生で、終始恩師の持論を服膺し師の抱負を着々実現せしめたのであった。

由利の功績中には小楠先生の抱負の龍っているのが少くないが、その中で特に述ぶべきは、明治新政府の參与時代に於ける二大勲功として有名な太政官札発行と五箇條の御誓文起草とである。

彼が太政官札を発行して軍事費を支弁し維新の大業を翼賛したのは、福井藩に於て小楠先生指導の下に藩札を発行して殖産貿易を興し、大いに藩政に貢献したのと其の趣きを同じうせるもであって、先生の教導開発に因由していることに疑いはない。そして御誓文に於ては、その立案者は由利で、福岡孝弟之に意見を加え、更に木戸孝允の考慮も添うて其の正文が出来上ったのであるが、最初の由利案は左の通りであった。

 一、庶民志を遂げ人心をして倦まざらしむるを欲す。
 一、士民心を一にして盛に経綸を行ふを要す。
 一、智識を世界に求め廣く皇基を振起すべし。
 一、貢士期限を以て賢才に譲るべし。
 一、萬機公論に決し私に論ずるなかれ。
 
これを見ても、亦出来上った正文を見ても、既に其の全体に於て小楠先生の論著や建白類等に表われている主義や持論が多分に含まれ居り、其の要目が先生得意の箇條書きになって居り、その中心文句にも先生の慣用語が用いられて居る所などからしても、徳富蘇峰が沼山津頌徳碑文に記せる如く、此の御誓文は先生の「暗冥賛によるものあるは識者の夙に認知する所」である


https://philosophy.blogmura.com/buddhism/にほんブログ村 仏教

http://d.hatena.ne.jp/nazobijyo/ ←悟れる美女の白血病闘病記