やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #6(日本人の体質)

  日本人の体質

 だからそれは実は日本人の体質だということです。普通は、今、物が豊かになったから、楽になったから、だから一所懸命働かないという程度の考えしか出て来ないでしょうが、私はどうもそういう日本人の体質にあると思う。いわゆるこの温暖な所だから、例えばヨーロッパ、キリスト教の所、あれは全部砂漠地帯ですから。砂漠地帯だから発想法が全然違ってくる。例えば日本でも目本人昔は江戸時代でも皆お日様、お天道様って朝からお日様拝んでいた。森本哲郎という評論家、彼がアフリカ行って、アフリカの大地、地平線がずっとなっている所に太陽が沈んで行く、太陽は沈む時大きいですから、思わず日本人的体質で夕日を拝む、そしたら現地の人がお前のとこには太陽ないのかと言われたという。珍しいから拝んだと思われたんですね。アフリカの人間にとって太陽を拝むという発想はないわけです。やれやれと、暑かったのがやっと日が沈むと。やれやれと思う訳なんです。日本人は太陽というものがあって人間は生活出来る、ああ有り難いというこういう気持ちが夕日を拝むということであり、又朝日を拝むということでもあるわけなんですo 旭日昇天の勢いとこうなるわけです。

 ところが、アフリカでは旭日昇天は困る訳です。いかに日陰にいこうかとしているのだから。だから日が照るということは、国旗に日の丸ないですよ、皆お星さんです。星か月ですよ。三日月ですo 要するに昼は暑いから恨めしいんです。晩はやれやれなんです、涼しいからああ嬉しい、いきいきとなる。だから晩というのはお星さんなんです。星がある涼しい夜が有り難いになるんです。日本はお星さんがない。万葉集にお星さん歌っている歌はほとんどない。日本には星の見える季節は一時なんです。お月さんの歌はある、曇りでも見えるから。お星さんは曇りの日は全然見えないから。だからお星さんというのはあんまり出て来ない。お月さんは出てくる。ヨーロッパではお星さんは年中かちっと見えるわけです。空気澄んでいるから。そしてそれは望ましい涼しいから、日中は暑い。日本の場合は日中はお日様があって暖かい方がいいわけです。夏は別として。だからそういう時は全然発想法が違う訳です。

 そういうふうで勤勉というのも日本の気候風土から出て来たものであって、それはぱーつとやるんではない。子供時代からぱーつとやらないと駄目なんだけれど、それは親がそうなんで、親自身はぼつぼつやっているんです。自分の子供にはぱーつとやらないといかんと期待するんです。それがまさに期待し過ぎなんてすわ。自分の子供だから、極端に言えば、俺の様にはなるなよということ。いい学校いってないとお前は俺の様に苫労するぞと、いい学校行くためには矢張り一所懸命勉強しなければならない、これは矢っ張り一種の学歴主義なんてすね。それが父親に輪かけて母親が今だにそう思っている。もう社会は学歴社会でなくなってきているわけです、段々能力主義になってきているでしょう。なってきているけれど、母親はその社会を知らないから、前のイメージ十年位遅れたイメージで矢張りいい学校行ってなければ駄目だよとこう思うわけです。それで勉強させよう勉強させようとするわけですo しかし民族性そのものがそういうようにこつこつこつこつ積み重ね方式なんです。積み重ねというのはこつこつやるということ。ぱーつとやるんじゃない。そういう民族性にありながらぱーつとやらせようとするから、そこでアンバランスになる。


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