運動でストレスに負けない前向きな脳をつくろう!

                  筑波大学大学院 人間総合科学研究科 教授
                                             征矢 英昭
 運動による脳機能の活性化やメンタルヘルスの改善について研究している征矢先生。ストレスに対処していくための方法や、運動の気分転換効果などを中心に、 お話をうかがいました。
 緊急時と慢性時で異なるストレスの意味
 「ストレス」という言葉は非常にあいまいで、どういう立場で使うかによって、その意味合いも変わってきます。一般的には、ストレスは心理的不安・不快を与えるもの、体の調子を悪くするものとして使われることが多いですが、もともとストレスは、命に危険を及ぼすような侵襲(例えば外敵に襲われるなど)に対して起こる反応であり、その機構は人間の生命存続において欠くことのできないものです。
 ストレスは、生理学的には副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の増加としてとらえることができます。ACTHは、副腎皮質に作用して「グルココルチコイド」というステロイドホルモンの分泌を促進します。このホルモンはストレスから体を守る正義の味方ともいえる物質であり、これを分泌できないようにした動物にストレスを与えると、簡単に死んでしまうことさえあります。
 ところがこのホルモンは、その作用が長期化すると、一転して体に害を及ぼすことがあります。つまり、本来は緊急時の対処であるストレス反応が、何らかの条件により持続してしまい、慢性的になることで体にさまざま問題が生じてくるのです。
 では、ストレスの慢性化を防ぐためにはどうすればいいのでしょうか。一番良いのは、自分にとってストレスとなるものを遠ざけることですが、現実にはなかなか困難です。そこで、ストレスにさいなまれても対処できるような行動を増やしていくことが必要になってきます。特に、ストレスに対する感受性が高い人は、気分が向上し、元気が出るようなさまざまな対処行動を探して、生活の中に取り入れていくことが大切です。その中には、喫煙や飲酒も入ります。喫煙や飲酒は健康に害を与えるものの代表格的存在ですが、取り上げてしまったら「万病のもと」といわれるストレスが増大して、病気にかかりやすくなることもあるかもしれません。ストレス対処行動としての喫煙や飲酒は、完全には否定できない面もあるのです。
脳を活性化する環境
 ストレスは、脳の機能と深く関係しています。人間は、うつになると脳の海馬が萎縮し、神経の数が減っていくことがわかっています。しかし、それは可逆的な反応であり、良い環境下では、海馬が大きくなり、脳機能も高まる可能性があります。最近では、脳は筋肉と同じで、使わなければ衰え、使いすぎれば疲弊するけれど、適度に使えば一生神経が増え続け成長するのではないか、という研究も発表されています。
 脳機能に影響する要因としては、ストレスのほかに環境や運動があります。動物を豊かな環境と貧しい環境に分けて育てると、豊かな環境で育てたほうが明らかに脳の重量が重く、認知機能も高まります。このときの「豊かな環境」とは、贅沢な環境という意味ではなく、兄弟や仲間とコミュニケーションができ、食べ物や遊び場の種類が多く、部屋が広くて運動がしやすい環境のことです。一方、貧しい環境とは、一匹もしくは数少ない仲間しかおらず、いつも同じ餌で遊び場がなく、運動もできない環境です。脳は、ものを考え、創造的になるような環境にいることで、活性化するのです。
運動の脳への効果を高める条件
 運動も、脳に作用してメンタルを好転させる効果があることがわかっています。ただし運動では、強度、時間、様式、環境などの条件が重要です。運動強度*1は、だいたい50~60%くらいが境目で、それ以上の疲労度の大きな運動はストレス反応を伴うので注意が必要です。また、好きでもない運動を嫌々続けることも、精神的なストレスが増えるので運動効果を阻む可能性があります。例えば、ふだんあまりしない軽い運動として歩行テストをお願いし、歩いてもらい、気分尺度*2を測ってみると、多くの場合でポジティブな気分が減って、ネガティブな気分がぐんと上がってきます。一方、中高年では好んでハイキングや山登りに出かける方もたくさんいます。どんな運動が良いかは個人差があり、「非日常」や「自然」といった環境条件も大きく影響してきます。
 運動において、もう一つ重要なのがソーシャルな条件です。集団で飼育しているネズミに軽い運動をさせると、脳の活性化や海馬の神経細胞増殖といった効果が確認できますが、ネズミを一匹だけにして同じ条件の運動をさせると、その効果はほとんど失われます。運動は、どんな人と一緒に行うかも大事な要因です。ソーシャルな条件はこれまで軽視されがちでしたが、一人で行うのではなく、コミュニティーベースで仲間とおしゃべりしながら行えば、効果も高まるし、継続率も上がるかもしれません。実際、長く続いている運動教室は、だいたいたくさんの人が集まってわいわい楽しい雰囲気の中で行われています。人と人との良い絆をつくり、お互いに支えあうようにしていくことが、ストレスの対処においても、とても重要なのです。
実行してもらうためには考え方の変換を
 心身の元気を回復することを意味する言葉に「リフレッシュ」があります。職場でのリフレッシュ方法といえば、コーヒーを飲むことや甘いものを食べること、たばこを吸うことなどが挙げられますが、これらも実は脳の機能を高めるための行動です。会社にリフレッシュコーナーがあるとしたら、それは「脳機能を高め、仕事の能率を上げる」場所ともいえます。そうした意味では、リフレッシュコーナーも単にコーヒーを飲んだりたばこを吸ったりするだけではなく、思い切って広くして軽運動をできるようにするなど、さまざまな環境があっていいと思います。そこでは運動も、もっと嗜好品的に考えていいのではないでしょうか。運動は、いくら体に良いからといって、それが実際に受け入れられ、たくさんの人に取り入れてもらえるとは限りません。体を動かせる服を着て、暑かったり寒かったりする中で行うとなれば、かなりのモチベーションを必要とします。現場で実際に運動してもらうためには、まず居ながらに気持ちよくなるようしつらえた部屋(植物、匂い、光、色、音などを工夫した空間)を準備する、そして敷居が低い運動メニューをたくさんそろえておき、運動様式、脳への効果、消費エネルギーなどから、コーヒーのメニューを選ぶように好きな運動を選んでもらうなど、環境や提供の仕方も含めた考え方の変換が必要だと思います。
幅広い意味での健康づくり
 人間が生活していく上でストレスとなるものはたくさんありますが、そうした環境と格闘しながら前向きに働いていくことこそが、生きていることであるともいえます。われわれは、「社会や環境にうまく適応し、ストレスにも負けない、元気で前向きな人間でいられるような脳の状態をつくろう」ということから、「脳フィットネス」という概念を提唱しています。「フィットネス」は、健康を高めることや適応性を意味する言葉ですが、これまで体の面からだけ行われてきたフィットネスを、脳や精神機能にまで拡大していこうということを意図しています。例えば運動を行う場合でも、代謝をあげてダイエットするという内科学的な運動処方だけでなく、精神機能を高め、楽しみながらたくましく元気になるといった幅広い処方を考えていけば、結果として行動が前向きになり、エネルギー消費も増え、メタボリックシンドロームの解消などにもつながるかもしれません。
 「健康である」ということは、病気でないというだけではなく、毎日元気で、やりたいことがあって、会いたい人がいて、快適に暮らしているといったことも含めてのことだと思います。健康づくりに携わる保健師・栄養士さんたちも、体の健康だけでなく、人間の本当のたくましさを増すような指導をしていけるようになるといいのではないでしょうか。
* 参考
「3分から始めよう!! 簡単体操 フリフリグッパー(DVD付き)」(ワニブックス,2006)

フリフリグッパーは、征矢先生が考案した脳、心、体をスッキリさせるための体操です。だれでもどこでも簡単にできる体操なので、健康づくりの現場でも活用できます。
*1 運動強度
(%)=心拍数÷最大心拍数×100
*2 気分尺度
TDMS(8項目の質問に対する回答から心理状態を把握する方法)を使って測定
征矢 英昭(Soya Hideaki)
医学博士
1984筑波大学大学院体育研究科修士課程コーチ学専攻(運動生理学)修了、1989年群馬大学大学院医学研究科博士課程内分泌生理学専攻修了。三重大学教育学部保健体育科講師、助教授、エジンバラ大学医学部生理学神経内分泌学研究室客員准教授、ロックフェラー大学神経内分泌研究室客員准教授、筑波大学体育科学系助教授、同大学院人間総合科学研究科准教授を経て、2009年より現職。2007年筑波大学河本体育科学奨励賞。日本体力医学会評議員、日本運動生理学会評議員など。現在、文科省特別経費研究プロジェクト「たくましい心を育むスポーツ科学イノベーション」(2010-2013)の代表。著書・論文に、「新版 これでなっとく使えるスポーツサイエンス」(共著、講談社、2007)、「からだの中からストレスをみる」(共著、学会出版センター、2000)、EndocrinologyやNeuronなど多数。

花王健康科学研究会
Kaoヘルスケアレポート