仏教による幸福への成功方式 #47(第六章ダンマ 実相 すべての根源、空 )

すべての根源、空  

世界はずつと続くか、死後の霊魂はあるかなどの形而上学的な問題は覚りそのものに関係しないし、体験の出来ないことであるからとして教えられませんでした。すべては関係し合って変化してゆくので、すべての根源とか、創造主などというものはないのです。物は確かに姿として見えます。しかしそれは変化の途中であって本当の姿ではありません。といって何もない幻の空っぽとも言えません。固定した実体でもなく、何もないのでもなくその中間(中道)がまことの姿、実相なのです。この中間を名付けて空と言うのです。この物でもない、からでもない空を一応すべての根源と考えてみましょう。

    空=縁起=実相 
         
   根源=法則=現象         

こうした見方が出来ます。しかしもともと法則をぬきにした根源や現象が存在するのではなく、互いにそれは一心同体なのですから分割出来るのではないのです。
                  
固体のような根源は何一つないので、偉大な縁起の法則がはてしない大昔から働いていて同時にすべてが移り変わりしていたのです。人々は物の根源は物であるべきだという西洋的な考え方、先入観があるので納得しにくいのです。

空からどう変化して物となるかと言うと、

     生-空がこりかたまった姿
     ↓
     住-成長し栄える(他と同化、再組織す)
 空   ↓
     異-こわれ劣える(老化し、分解される)
     ↓
     滅-もとの空に帰る
  
生住異滅の四相は縁起の法則によって万物の変化を示します。空から空に帰ってゆくのです。

    
一切法は      空にして
 智見によれる    実相なり
 こ空の如く     有にあらず
 生せず滅せず    相もなし
 無量無辺      はてしなく
 すべての物は    さえぎらず
 ただあやまれる   因縁が
 苦をもたらせる   有を生じ
 これ実 非実と   分別す
 静かに 心     修めつつ
 諸法の実相     観ずべし

 常住一相      無相なり」

                  (法華経

空が根源とも言えるし、すべてとも言えるし、物になるし、物でなくなることもある。ただ変化があるだけで、生まれるというのは表面の見方、だから死滅というのもない。そしてこの空はすべてをつき通すこともあるのです。思考する力(エネルギー)、空は壁をつき通して存在を知ることが出来ます。これは心(空)と物(空)が同質の空だから通化できるのです。では假の姿にしろ、物の形がなぜ出てきたかというと、あやまりの因縁がもとなのです。

  生   住  異滅
  心化     心化
空    心身化    空
  物化     物化

この空を根本とします。そしてある因縁によって無明化され、行為を生み出し、心化と物化をもたらしたのです。無明→行→果は欲心が強ければ心質化して積極的な行動をし、欲心が弱ければ物質化して消極的行動をとる(水が器に従うように)。空(因)が凝集されると(縁)、物化(果)されるのは求心運動の一過程なのです。欲心(心因)が行動を起こすと(縁)物を呼ぶ(果)ということです。


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