経集 90

90 此等四沙門を洞察せる在家の有聞有慧なる聖弟子は、彼等一切をば斯の如しと知り、斯く見已りて彼の信は退するなし。云何が彼は染汚者と不染汚者とを、また浄者と不浄者とを同視すべけんや。南伝大蔵経 第二十四巻小部経典二一 蛇 品 五 淳陀経 三四頁)
よく学び智慧明らかな在家の聖弟子が、彼等のありのまゝの姿を「この通り」と知って、その本当の処が解っても、だからといつて、彼の信は失われはしない。どうして彼は汚れたものと汚れないものと、清いものと清くないものとを、同じとみなければならぬだろうか。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)