原始仏教講座 第四講 その十八

第四講 その十八

次は集諦。後の生存もたらせる、喜びむさぼる愛にして、欲の愛、存在の愛、虚無の愛。これちょっと難しくなりますが、後の生存もたらせるというのは、死んだら終いではないということです。何らかの形で死後も存在する、生まれ変わりもするということです。どうしてそういうふうになるかというと、死にたくない死にたくないという心があるから、死んでから先も生きようとする、すなわち生きるというわけ。喜びむさぼる愛、でそういう考えているのは、欲望が果てしないからだというわけです。欲の愛、あれも欲しい、これも欲しい、死んでから先も欲しいというと、それは欲の愛です。欲の愛は、多分に生きている間の話です。存在の愛というのは、永久に魂として存在するということです。死んでから神様の所へ行って、永遠の存在になるというと、永遠の存在に対する愛着、執着、とらわれですね。それがインドの宗教でも、それまでの宗教でもあったわけです。だから魂の話になるわけです。それから一方では、死んでから魂の存在なんて考えられない、そんなの望みもしない、永遠に死んでから先、虚無になりたいという虚無の愛というのもある。
日本人にはこういうのはとても理解できないんですね、虚無になりたいというのはですね。人嫌いというのはありますね。山の中で静かに暮らしたいというようなものも、文学少女みたいなものあるかもしれないけれど、虚無の愛というのはないですね。一種の哲学になりますから、非常に哲学的な話まで含んでいるのが、お釈迦様の仏教です。自分を中心にした欲望を支持するこれが苦しみの原因である。集諦というのは、欲望を集めて苦となるということです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ