原始仏教講座 第一講 その十二

第一講 その十ニ

縁・信・教・行・証・導・謝・施というこの八つの項目をもって仏教というものは成り立っているものである。という風に私なりにまとめた所です。日本式仏教ではこれありません。そこが私なりに取り柄であります。

三宝というのが仏教の構成要素です。
ブッダは如来、応供、正等覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、天人師、調御丈夫、ブッダ世尊とありますね。

ブッダと言うのが訛ってブッダはインドの言葉です。正式にはブッダハというのですが、それがつまってブッダ。日本ではそれを段々さらにつまって、ブツと言うようになってしまって、よく意味が分からなくなりましたが、原語でブッダというのはブツというのはボーデイという言葉なんです。ボーデイというのは悟りということ。ブッダハのハは、人、者、人間を表すわけです。ですからブッダハと言ったならば悟った人なんです。

私も人間あなたも人間、人間を超越した存在ではない。ブッダと言う発音で意味するものは、悟った人、人間以上の人ではないと言うことです。これが本来のブッダの意味です。

所が日本式になると人間を超越した存在のように受け取れる。宇宙に満ち満ちた仏様。というような話になると、宇宙に満ち満ちたとなると、私という人間とは全然違います、そういう風に哲学化する。それはどうしてそうなるかという話をしますとややこしくなる。そこは抜きます。 田辺聖恵

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