誰にでも
『誰にでも』
虚飾性は誰にでもある
それが美しくなる始まりですらある
だから鏡が与えられているのだろう
虚栄性は誰にでもある
それが生きる支えになる事すらある
だから格好良さが流行るのだろう
虚勢性は誰にでもある
それが生きる原動力になる事すらある
だから誰も気付かないようになってる
[誰にでも]−ザックバランにという態度で格好つける人もある。格好つけを厭がる事にこだわれば、これも一種の格好つけで私もその一人だ。均一社会では人並みにという見せ掛け論理が働くから、見栄も必要経費と言えよう。
『虚飾・虚栄・虚勢と、虚性に満ちた人の波』
ヤクザが強ぶるのは力の社会だから当然。国家が強ぶるのはヤクザの論理と同一。経済力が強くなると道徳力が低下するのは歴史の示す所。人類が熟成途上である証明だ。誰にでもある虚性をみつめる事から熟成が始まる。