原始仏教講座 #11(生きるともなく)

『生きるともなく』    
われにおいて なす事なし
それは自我欲望に振り回されず
殊更の生き甲斐など要しない事だ
 あるがまま 人間として生きる
 真理の自覚と実現において生きる
 人間としての価値を全的に生きる
利他は自利と徹して生きる
生にこだわらず死を恐れず生きる
その一日を生きるともなく生きる

 [生きるともなく]-「過去を離れよ、未来を離れよ、現在を離れよ。」と釈尊は言われる。自我中心の欲望生活は苦楽相対の一喜一憂の生き方でしかない。世俗的な生き甲斐にしてもその範囲を出ない。そこをどう脱出するか。

『生死を超越するとは人間本質を生きる事である』
 仏教的覚りを観念的なものと取る人が多い。仏像が座像であるのはその現れである。生きたブッダ釈尊は毎朝かかさず托鉢に行かれた。夕方には対話正導をされた。人々に歩み寄り、話し掛けられる所に「あるがまま」があった。