田辺聖恵 の検索結果:
…まれる [活力・創力] 人には心の浮沈がつきものだが、それは人間の属性の様なものだ。子供の動きを見れば分かる事だが、人間の本質は活力・創力にある。それらの一連が文化現象。人間らしい生き方とは自己表現の仕方という事だ。 『人間本質の活力・創力にうまく乗せる生き方』 生き方が下手な人というのは、心のマイナス的な属性に振り回されて、転換技法を持たないという事だ。それにも増して活力・創力の対象目的を持たない事だ。それは世間の常識という壁を見て、広い空を見ようとしないからだ。 田辺聖恵
…という事だ [表現・実現・達成] イラストでか数字でかと表現の仕方も種々ある。思ったことを具体化するのは実現。計画を完了させるのが達成。この表現・実現・達成の三つを統合した自己行動をパフォ−マンスと考える時代になった。 『発想センス+行動パフォ−マンスの時代』 いくらになるかの時代から、何をいかにするかの時代になった。何をという発想、いかにという技法行動、このバランスがとれないと自己確立はない。こうした可能力は人生初期から生涯的に自発学習と継続をしなければならない。 田辺聖恵
…の生き方にも通じる [技術と芸術] エンピツで線や円を描くのは手法技術であるが、そうして一本の木や景色を描けば芸術。ワ−プロで文字を出すのは技術だが、発想をまとめれば芸術。その技術の難度を高めると、芸術を高める事も可能になる。 『誰の人生にも技術性と芸術性がある』 人生には仕事・生活・熟成の面があるが、それぞれ行動技術を持つ。そしてその中により豊かな発想を織り込めば人生芸術となる。技術を伴って自己を新しく創造する事になる。技術で止まらず、発想だけに止まらぬ人生をだ。 田辺聖恵
… [命・生き生き] 何かの悪習依存があってそれを止めようとしても止められない。そこに快楽があるからだ。それを上回る喜びや意味価値に心が躍る時、人は生き生きとなって悪習や依存を乗り越える。これが人間構造の原理である。 『依存を断ち切るのは自己の意味付けしかない』 人によってそれぞれ意味価値は違う。だが喜びを求めるという点において総ての人は同じである。多くの人が自分に合う意味価値に自分を打ち込む事で大きな喜びを得て行く。それは何かに依存する事でなく、自己実現をする事だ。 田辺聖恵
…ぬきにしたひとりレッスン [創意爽快] 総ての動物は前進構造である。人間は老化すると考えるが、わが子という形で前進を続ける。それは変化適応をする為である。さらに創意を身につけて先取り適応をする様になった。適応から察応へと変身してゆく。 『同形の雲一つなき秋の空』 創意の楽しさが身につくと、対応の用から無対応の創意へと変身してゆく。芸術や優れた宗教などがそれである。創意自体を喜びとする生き方が創造されてくる。真の豊かさとはそういう世界であろう。人生自体をデザインする。 田辺聖恵
…行でありたい [かくありたい] とかく今まで通りの固定した観念になり易いが、それでは生命に反する。生命はずっとしなやかで融通対応をするものだからだ。高々と伸びてゆくモウソウ竹はいかにも生物生命のしなやかさの象徴と言えよう。 『発想・信念・行動が達成人間の三要素』 発想は具現化欲求によるものだから、実行達成力を伴うものである。だがこれはエネルギ−現象だから、確固とした信念をそのエネルギ−源とする。その信念の元は生命衝動である。この人間深層が本当の豊かさの震源地なのだ。 田辺聖恵
…なろう [聴く] 今や情報知識時代。何でも分かってしまう時代。それは分からない事を無い事として排除してしまう事だ。そして知っている事はそれ以上に深く知ろうとはしない事でもある。聴く為には心を静め集中せねばならないからだ。 『聴き入る事を抜きにした豊かさは錯覚』 どの様に知り、どの様に活発に動いていても、何の為に自分は存在するのかという、この根本は知り得ない。それではまさに砂上楼閣である。よりよく生きる為には、まず心を静めて、今まで聴こえなかった声を聴かねばならない。 田辺聖恵
…る様に [経営原理] 平穏無事の経営は惰力で走る車の様なもので何時かは止まる。人間が常に種々なエネルギ−を必要とする様に、人間経営も莫大なエネルギ−を必要とする。人間経営とは物的・心的エネルギ−の価値化現象なのだから。 『企業経営も自己経営も同次元になってゆく』 従来は物の生産販売を経営としていたが、本質的には人間の営みである。営利的な形をとっているが人間に内在する創造性変革性の具体化が人間経営である。今日はその人間本質を明らかにしてゆく事が経営原理となりつつある。 田辺聖恵
…鮮な感動を導入する [創意の風土] 創造=創意+達成力であるが、この創意はヒラメキ思い付きだから、かねてに養う必要がある。学習や記憶からの連想や飛躍だから、一種の応用とも言える。応用も練習だから、回数に応じて創意は大いに増大する。 『創意展開がある人生は楽しい』 創意は勤勉実直さからは生まれない。自由自発を楽しむ軽快さから生じる。従ってその様な環境風土作りが必要である。利害得失から離陸せねば竹トンボは空を飛ばない。創意の有無は人生への態度そのものを現すとも言えよう。 田辺聖恵
…だから [自分作り人づくり] 人材不足だから人づくり、というのでは人を資材視している。仕事が目的で人間が道具という従来の仕事観人間観では行き詰まる。人が活き活きと生かされてゆく、人間組織が作られてゆかねばならない。 『これから活き活きとした人間組織時代になる』 自分作りの難しさと喜びを知る者のみが、人づくりをなし得る。学びの難しさと喜びを知る者のみが自分作りをなし得るからだ。これからの人づくりは自発学習の喜びを導くものとなる。管理操作で人は作られるものでないからだ。 田辺聖恵
…ある 「学び時代」 かつては教育時代であった。何をいかに教えるかというパターン時代であった。これからは何をいかに学ぶかというセンサー時代になる。学びセンスの発達が無ければ、感性不足として落伍せざるを得なくなるだろう。 『学びセンスは加令と共に旺盛になるべきである』 知識は記憶されるものではあるが、体験化されねばやがて忘れられる。知識は考察因子となる時に活性化する。更に変革行動因子となる時に価値化する。知識を学習するのでなくて、知識体験で学習するのが学びの本質である。 田辺聖恵
…めにもだ [流れの中で] その視界が余りにも近辺的であれば、河の流れは見えない。それは浮草が遠くを見ようとしないのに似ている。人はその外が見えてやがて内が見え始めるものだ。外なる河の流れはそういう意味を持つものであろう。 『どの様な流れにあっても己が生きる外はない』 大きな河の流れは中流ほど流れが早く、脇の方ほど緩やかである。中流ほど脇目をふる暇も無いという事であろうか。現代から超越出来るものではないが、過去と未来を学ばねば、己の在り方も対処の仕方も判然とはしない。 田辺聖恵
…からだ [伺い] 「学んで問い、奉じて伺う」もしその人が何かの道にあるならば自ずからそうなる筈だ。さんざやってみて思うようにならないという経験を重ねるからだ。思うようにならないのは、思い方があやまっているに違いない。 『生涯は学習に始まり学問となり謝意に終わる』 学ぶ事の始まりは先入観を捨てる事であろう。先入観の大半は自分本位から発しているからだ。学んで問い伺う所がなければ、鵜呑みに過ぎず得る所は少ない。学習から学問へと進めば、次第に一切への敬意と感謝になってくる。 田辺聖恵
…半日の元気を頂く [学びと元気] 結局は自分で自分を励まさねばならない。私ども凡人は自動的に元気という訳にはゆかない。そこで何かから元気の種を仕入れねばならない。その最も手近かなものが学びだ。読む・見る・考える・書く事だろう。 『人生とは終わり無き学びの連続だ』 今は映像文化の時代ではあるが、これは受け身になり易く、単なる知識で終わる。学びの中心は考える事に違いない。そこで総ての情報知識は考えるを通す必要がある。それでなければ身につくものにならず元気の元にならない。 田辺聖恵
…誉賞が横綱の頭上に輝く [土俵の上] 時間一杯待った無し。思い切って出る。何のスポ−ツでもこの出足が肝心ではあるが、相撲はまた格別。立ち上がった瞬間に勝負がつくという事もままある。何分にもあの狭い土俵での精一杯の集中力がものを言う。 『相撲の妙味は思い切りの良さ』 二時間も三時間もかかるような野球やテニスなどに比べて、相撲は一分もかからない事が多い。技よりも体力がものを言うような外国の競技に比べると、相撲や剣道は瞬間的な集中、つまり精神力が一番ものを言うようである。 田辺聖恵
…せよう [喜びの種まき] 誰でも収入を考えねば生活出来ない。動物でもエサを取る為によく働く。だが人類は収入を離れた善意奉仕を少しずつする事をいつからか始めた。何故ならばそれが結局は自分の喜びになる事を学んだからだ。 『最高の教育とは善意奉仕の価値と喜びの習得』 善意奉仕の種まきをして喜びが自分に返ってくる事をまだ知らない人は、実に不幸な人と言わざるを得ない。これも一種の学習だからまず小さな種まきから始める。するとすぐに手応え反応がある。善意奉仕に世界は敏感だからだ。 田辺聖恵
…かにする人間対話 [人間対話] いわば対等な人間同士があい対して、人間とその周辺を話し合うのが人間対話である。お説拝聴でもなく、自慢話しでもなく、自分をぬいた評論でも世間話しでもない。そこには自己を高め深め、了解する喜びがある。 『人間対話の内実が人間熟成度』 余りにも上下感だけできた日本人は、対等感がつかめない。心からの友人を持つ事が少ない。従って喜びに満ちた対等対話の経験がない。時には疑問をぶっつけ合い、時には新しい発見をし合い、心を活性化するのが人間対話だが。 田辺聖恵
…う事か [初中後] 時には張り切ったり時には滅入ったりと誰にでも浮沈はある。その点天才でも凡人でも同じ事だ。満点主義では息苦しくなるが、人間にもリズムがあると考えればよかろう。初中後その都度力を入れてゆくより外はない。 『常に自分の在り方を土台にする必要がある』 新体操を見ていると大変な難度を入れて、しかもなめらかに演技するのが分かる。わざわざこんな難しい事をするのは人間の宿命の様なものかも知れない。それだからこそ人間とは何かという、根本的な考察が必要なのであろう。 田辺聖恵
…心を豊かに生きてゆく [真友善友] する仕事は違っても、より善き生き方を求める者同士であれば、その共通性をもって真友善友となる。そこには共通した学びや会得がある。そこにお互いをより豊かに実らせてゆく共通話題がある。まさに人間対話だ。 『対話する心に開く愛の花』 かつて日本人は対話下手、表現下手と言われてきた。それも時代的制約があったせいかも知れない。だが今日もし制約があるとすれば自発心の足りなさだけである。心のしっとりした豊かさとは対話や書信交流にあると言えそうだ。 田辺聖恵
…もなる [認めて褒める] 森信三師から習った事の第一は徹底して褒める事だ。褒められたこちらが戸惑う事もある。それは自分でも気付かなかった点を認めて下さるからだ。そうした所に人生の達人振りがある。さすがというより外ない。 『人を素直に褒められるようになって一人前』 私達は余りにも褒め言葉の出し惜しみをしている。それは自分の方があいつより優れていると、つまり負けたくないからだろう。巧まずに褒めるには自分を謙虚にする必要がある。褒める認めるは結局自分の在り方の問題である。 田辺聖恵
…心はまさに集中だ [力まない努力] 努力は集中して全力を出す事と言えよう。所が失敗したら困るとか、人がどう言うだろうかとかの余分な思いの緊張と集中の緊張とがダブルと、体は硬直して能力発揮が出来ない。つまり余分排除の要領がいる。 『肩の力を抜いた努力を努力する』 日本人は緊張民族と言われる。感情興奮になり易いという事だ。こうなると体の硬直のみならず頭の硬直が重なる。これではダブルパンチを食う事になる。その事にスウッと入れる集中、そうした努力の仕方も練習する必要がある。 田辺聖恵
…ます [取り柄発見] 「私なんかダメです」なんて言い続けると何時の間にか本当にそうなる。一種の自己暗示が働く。少なくとも自分の取り柄を前面に打ち出す事を忘れてしまう。本当の喜びは自分の取り柄を十分発揮した時である。 『自分とも人ともうまく付き合うのは取り柄発見』 内向的というのは良く考えるという事だし、出しゃばりというのは実行型かも知れない。マイナスも少し手入れするとかえって取り柄になる。物について新しい見方発見が言われるが、自分自身についてこそそれが必要であろう。 田辺聖恵
…豊かさが広がる [互恵網] ネットワ−クという言葉が仕事上から、今や人と人、心と心の連携的な面にと広がっている。これは素晴らしい事だ。それは仕事本位から人間本位へと総ての営みが変容というか本来化しつつある事の現れと言えよう。 『依り掛かりでないが共にの互恵世界』 相互互恵的なつながりが最も人間らしい在り方と考えられる。経済・政治・自然と今や地球規模で考えねばならなくなっているが、その中心は人と人、心と心の相関関係であろう。何がしかの距離、何がしかの緊密といった様な。 田辺聖恵
…だ [初心] これをしたい、こうなりたいという初心を持つにしても熱意をこめて実行を決断するのでなければ本物の初心とは言えない。単なる夢や願いは初心ではないからだ。人生に花を咲かせ実らせるのもこの初心の有る無しである。 『初心→決断→実行の一連が人生を本物にする』 これをしたいという仕事初心だけでは、人間としてこうなりたいという人生初心が欠ける。これでは仕事人間という偏りになる。仕事が出来なくなった時の人生への考慮がない。今までは仕事観だけで人生観が抜けていたようだ。 田辺聖恵
…る喜びが出て来る [書く・考える] 「下手な考え休むに似たり」下手同士で碁を打つとこの名言を言い合いする。これはこうしようかああしようかと碁石を盤に置いて考えない(書かない)から考えが進まない事を意味する。考えるポイントだ。 『書き考えるは一人対話に違いない』 決まった答を出す場合にも書きながら考えるのが早道だが、まだ決まっていない新しい答を出すには、この書きながら考えるという事が不可欠条件となる。設計図を下書きするのと同じ手法。絵でも画きながら創意を煮詰めてゆく。 田辺聖恵
…がよくなる人生 [己人誌] この所多くの人が一人雑誌を出す様になった。私も一二枚刷りやハガキと様々な形や内容のものを頂く。それぞれが楽しく、又教えられる事が多い。それにその人そのものの己性が現れている事に価値があると思われる。 『己人誌はまさに己の生き方の象徴』 ただただ働く時代に『じっと手をみる』と啄木は自己表現をした。その自己表現に生きる根拠を感じていたに違いない。心をこめて己を表現する一人誌は、ヒョッとすると啄木の様ないのちの生き方をしている現れかも知れない。 田辺聖恵
…係 [組織と自己] 今や社会の大半が何かの組織の中にいる。かつては組織の中の階級位を求めていたが、これからは組織目的と自己目的を一致させる事を求める時代だ。単なる主従関係ではなくなる。こうして組織と自己は活性化する。 『組織と自己は互恵協業をその本質とする』 組織が単なる資本の固まりであったり、権力の化物であったりする時代は終わった。社会への貢献目的を持つ組織も人の集合であり、その中の自己も又人である。この人と人との関係が対等互恵に近付くにつれて協業意識は増大する。 田辺聖恵
…ッカケなのだ [貴重な苦悩] 粗雑に生きてきた結果が苦悩となる事が多い。粗雑さとは自分がどの様な人間であるかを学び、どの様になってゆくかをハッキリさせていない事である。自分がした事の結果が自分にくるというのが黄金率である。 『苦悩とは自己変革の輝かしい出発点だ』 苦悩や負い目をキッカケとして、自分の在り方、さらには自己そのものに目覚めてゆく。正に貴重な縁である。このような転機の縁は何時でも何所にでもある。難しいのはそれを最終的には自分でつかまねばならないという事だ。 田辺聖恵
…熱意出力の問題なのだ [熱意出力] 生命とは行動表現体である。従って出力パワ−がなければ話にならない。そのパワ−を蓄えここだという時に出力するのは熱意である。従ってこの熱意をいかにレベルアップし、かつ持続するかを工夫する必要がある。 『熱意の持ち方にも工夫が要る』 熱意とは積極性とも言えよう。多少は性格要素もあるだろうが、この積極さも練習によって身に付きかつ増大すると考えられる。何かをやる→達成する→喜ぶ、この達成経験を繰り返す事が積極さを生み出すポイントであろう。 田辺聖恵
…共通するからだ [学ぶ喜び] ずっと昔の人類が石器を作り出す。自然から学んだわけだ。するとたちまち広まる。作り方使い方を次々に学んでゆく。学ぶ↓作る・使う(現す)この一連が総て喜び。こうして人類は学びを自らの本質にしてゆく。 『学ぶ喜び現す喜びは大いなる人類本質』 学ぶ喜び現す喜びは次第に物から文化、人から自分へと向けられてゆく。総ての物が自分に関わり、自分がどう在るかが焦点となってくるからだ。そしてさらに自分を突き抜けてゆくものである。学ぶ喜びはまさに偉大である。 田辺聖恵