伺い
『伺い』
奉じて 伺う
どの様な可能性があるのか
本来はどの様にあるべきか
人や物一切から何ほど学ぶか
何ほどの敬意を表しているか
何ほどの自我を離れているか
人や物に 伺うところがあれば
やがては己の在り方となる筈だ
問われるのは自分自身だからだ
[伺い] 「学んで問い、奉じて伺う」もしその人が何かの道にあるならば自ずからそうなる筈だ。さんざやってみて思うようにならないという経験を重ねるからだ。思うようにならないのは、思い方があやまっているに違いない。
『生涯は学習に始まり学問となり謝意に終わる』
学ぶ事の始まりは先入観を捨てる事であろう。先入観の大半は自分本位から発しているからだ。学んで問い伺う所がなければ、鵜呑みに過ぎず得る所は少ない。学習から学問へと進めば、次第に一切への敬意と感謝になってくる。 田辺聖恵