全現 第204号  老屋と畳

       「三難」
     欲は少な目に 足るを知る        
     いかにも簡単な様でこれが難しい
     ここまでという一線が明確でないからだ
      憂いを先にし 楽を後にする
      誰れでもやっている様でこれが難しい
      克服する喜びを忘れる様になったからだ
     立志不退 心願を燃やす
     多くを知る様になってこれが難しい
     統合された自己意識が薄れているからだ

   老屋と畳
この老屋を去るに当り、信三師が何か書きしるせと云われるのは、一つにこの家にお出で頂いたからでもある。栄木浪雄先生のご先導で、すぐ近くの見性寺にある福島政雄先生のお墓に詣で、わが家にお出頂いたのであるが、庭に立って家全体をしばし眺められる。

何しろ百年以上経った侍屋敷、崩れかけた門構えもあるから、この七部屋ある家はかなりのものだったに違いない。だが屋根棟のでこぼこは勿論だがペンペン草はあちこちに生え、家の柱はすべて五六度角は傾いているのだから、よほど珍らしいと思われたのかも知れない。「草木塔」という一冊をもって山頭火を世に紹介された信三師としては、破衣の山頭火を連想されてもおかしくない所だ。
 
かって修養団の遠藤俊夫先生が訪れて下さった事があるが、リンゴがコロコロと転ぶ所と評された。これが決して誇張でなく、どの古畳も傾いているから机が水平にはならない。その畳にはくまなくビニールゴザを冠してボロかくしをしているので、この上を素足で歩き廻るので足の親指がさかむけする。
清水本町の借屋に移って第一に感じたことは、素足での畳の気持の良さである。そして第二に感じたことは畳に一寸でも粒が落ちているとそれを足が感じると云う事であった。そこでホウキをどうでも買わねばならなくなった。老屋ではたとえ一月に一度掃いても掃わかなくても、足にさわる事もなく、ゴミが見える事もない。
 
バラック建ての時も畳らしいものがなかったから、三十年振りかで畳に直参という事になる。「女房と畳は新しい方がいい」ということわざがあるが、新しい畳でなくても畳は実に素晴らしい。ついでだが、先のことわざは女房を常に新しく保つように、夫たるものあい努めよと解すべきで、古臭くしてしまう様では落第亭主。イヤこれは私の独断や当てこすりではない。釈尊がそう云われる。
 
妻は五つの事をもって夫より奉仕せらる。敬意をもち、礼義を守り、あやまれる行いをなさず、権威を与え、飾り調えるものを提供することによりて。(六方礼経

この経を読む度に、日本のどこが民主主義かとボヤきたくなるのである。民主的であると云うのは、この相互間に尊敬と信頼があり、さらに相互理解と奉仕性があるという事に違いない。
 
上下関係は今でもあるべきものではあるが、少なくとも主従感のシッポは取れていなければなるまい。
 
畳が変な所に脱線したが、仏教が釈尊においては野末死に、林の中、地面の上で亡くなられた事を、仏教者としてはかた時も忘れることは許されない。畳を単純に喜んでいられないが、私の本心でなければならないであろう。つまり私においては、一層の期する所、「心願・初心」を新たにせねばならぬと受け取らねば、私の様な凡なる者はたちまちネジが緩んでしまうと自戒する所である。