やる気と人間性 ある経営コンサルタントとの対話 #4(はっぱをかけない)

 はっぱをかけない     

親がはっぱをかけて、勉強しなさい一生懸命やりなさい、これ愛情と思っている、しかし実際ははっぱかけている。本人は自分か一所縣命勉強出来るようになっていれば、はっぱかけてもらわなくてもいいわけです。うるさいと、言われなくてもするということになる。勉強するようになっていない子供がはっぱかけられれば責められている。親から毎日拷問をうけているようなもの。逃げ出したくなるのが当たり前で、逃げ出すわけです。友達が悪いんじゃないんです。友達の所に逃げ出したわけなんですから、だからはっぱかけないというふうに親にはっぱかけたわけです。それじゃそうしましょうということで、親は言いたくてしょうがないけれども、言わないように言わないようにして、今はおさまっている、一応学校にはいっている。

それは親がはっぱかけなくなったから。一応平穏に治まってきた。所がこれからどうする、全然はっぱかけないと、そのままになる。親としては最低の高校でもやりたい、でも本人は絶対いかないと、じゃ実務学校といっても中学からいけるのは少ないでしょう。床屋さんになりたいと言うけど、本気でなりたいというのでもない。それじゃ何をしたいか、土方、土方でも飯が食えるとこう言う。父親がクレーン車というか土木関係の什事をしている。その方に話がつながるというか、親としては自分で重機もって独立した小さいけれど事業としてやっている訳ですけど、子供から見れば土方仕事になる訳です。だから土方やってでも食っていかれるはずだとこう言う訳です。どこで土方に雇ってくれるかということになるんだけど、そういう現実の話か全然通用しない。

はっぱかけるということはいいか悪いかということです。はっぱかけると逃げ出す。はっぱかけてやる気を出すような人間はもともとはっぱなんかかけないでやる気を出すように仕向けるべきなんです本当は。はっぱかけるとういうことは最低のやり方なんです。ということをまず気が付かないといけない。
 

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