「発狂は個人において稀であるが、国家においては常である」 独りファシズムVer.0.1

この国は壮絶な崩壊へ向かって加速しているのだけれど、これほどの社会狂気を構造化するエートス(精神構造)とは何なのだろうか?

首都圏に隣接する原子炉が崩壊し、収束はほぼ不可能であり、いまだ膨大な核物質が放出されているにもかかわらず、住民や児童を避難させるわけでもなく、むしろ定住と汚染食品の摂取が励行されている。

行政府は汚染を最小限にとどめるのではなく、瓦礫の拡散によって全土に拡大しようとしているのであり、全域的に疾患が発生するだけでなく、水源と農地の汚染により国土そのものが壊滅することは明らかだ。諸外国の目には、我々の社会が遺伝プログラムの発現によって集団自殺するレミングの群れのように写っているのだと思う。

政治者も行政者も報道者も教育者も宗教者も我々も、現実が対処能力を超えることにより発生する認知的不協和を疎み、つまり都合の悪い事実は存在しないというアパシー、あるいは過剰に現実逃避するというポリアンナ症候群に陥っている。

原子炉事故のもたらす被害について奇説や暴論が横行しているのだけれど、客観的事実とは「反証可能性」という科学の原則によって論じられるべきであり、この前提において健康被害を矮小化する発話者は、根本的に人間性が欠落しているクズだと考えるべきだ。

被曝地の児童60%以上に甲状腺の異常が確認されているのだから、諸外国の専門医らの指摘どおり旧ソ連を上回る疾患が勃発するのであり、すでに我々は次世代をどう守るかではなく、正常な民族の遺伝子をどう保存するのかというSF的な命題を下されている。

一連の政策が「ショック・ドクトリン」であり、多国籍企業による市場創出であるという推論を重ねてきたのだけれど、マクロ的な視点においてはそれすらも総論ではなく、各論に過ぎないのかもしれない。

何度でも繰り返すが、キャピタルゲインインカムゲイン、外貨建資産などを通じ日本の経済市場から揮発するマネーは年間40兆円を超えると推定されるとおり、キャッシュフローはこの国がプランテーションの体系であることを明示している。

「投下資本の利回りを最大化する」という資本主義のテーゼ(命題)において、この国の壊滅は説明不可能なのであり、直言すれば金融植民地の温存が搾取を持続させるのであり、つまり経済合理すら超越した何らかのエートス(精神構造)が存在するとしか考えられないわけだ。

陰謀論者は民族浄化という現実をユダヤ閨閥イルミナティ、あるいはフリーメーソン、もしくは悪魔教組織などに帰結させるのだろうけども、世界構造の本質はより多元的であり錯綜的なカカオスだろう。

純粋な私見なのだけれども、眼前にある狂気のイデア(源泉)とはCoporatism(企業至上主義)なのだと思う。Capitalisim(資本主義)という概念においては、組織と市場の成長を射程に入れた中長期戦略が存在するのだが、Coporatism(企業至上主義)においては四半期単位の短期利益と株価の上昇だけがテーゼだ。

CEOのモチベーションは事業の持続性ではなく、任期間における株主の評価と莫大なインセンティブ(成果報酬)なのであり、重視されるのは将来的なストック(資本蓄積)ではなく近視眼的なフロー(資本配当)に他ならない。

つまり、統治集団は数十年スパンのプランテーション経営から継続的に利潤を得るのではなく、数年スパンのプランテーション解体から爆発的に利潤を得る方針転換なのだと思う。 

いずれにしろTPP推進と瓦礫拡散の同期が予示していることは、病理の蔓延にともなう公的保険の廃止と米国系医療・保険・製薬企業の参入であり、食料自給終焉にともなう穀物メジャーの席巻であり、その先にはグロス700兆円規模という個人金融資産の略奪がプロットに仕組まれていることに異論はないだろう。 

「発狂は個人において稀であるが、国家においては常である」という箴言のとおり、社会の錯乱と崩壊は恒常発生的な歴史現象なのであり、我々は眼前にある狂気の洞察を迫られているのだと思う。
 [2012/11/23]