日本政府の対米従属路線のシワ寄せはすべて沖縄に押し付けられる。 岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記

■10月某日 沖縄に強行配備された9機のオスプレイが、さっそく伊江島米軍補助飛行場や中北部で訓練飛行を始めた。日米で合意されたという、密集した市街地をなるべく飛ばない、ヘリモードへの転換はなるべく基地の上空で短時間に行う、などという取り決め事は初日から完全無視。日本政府の対米従属路線のシワ寄せはすべて沖縄に押し付けられる。オスプレイ配備直後、米国の国防長官・カーター氏は、F35ステルス戦闘機を嘉手納基地に配備することを表明した。日本政府が呪文のように唱えてきた沖縄の負担軽減と逆行する基地機能の拡大強化である。無神経な米国だが、その裏では外務・防衛省の加担・根回しがあったことは、すでにミエミエの公知の事実である。売国奴の最右翼は、こうした外務・防衛官僚である。一水会代表の木村三浩、そう思わないかな(笑)。
 これまでも米軍の犯罪や事故に対して県民が広く声をあげることは幾度となくあったが、その度に日地米地位協定の見直しなどというその場しのぎの対応をしてきたのが、日米両政府だった。日本の敗戦による全面降伏でGHQの占領時代を経て、1951年のサンフランシスコ講和条約以来、日本の外務省は米国に対する致命的なトラウマを抱えてきた。それが、日米安保条約であり、日米地位協定だった。NHKで吉田茂首相を主人公にした「負けて勝つ」という偽善的な連続ドラマを放送されたが、米国に「負けて負ける」という日本の外交姿勢が形づくられたのがこの時期なのだ。それが、1972年の沖縄の本土返還で、沖縄の米軍基地だけが特化された。戦後、米国の施政権下に置かれ、銃剣とブルトザーで占拠された基地が集中している沖縄をこれまで通り自由に使用することが決められた。むろん、毎日新聞の元記者だった西山多吉氏がすっぱ抜いた密約まで結ばれていた。
 今回のオスプレイ強行配備に対する県民の抗議の方法も変わった。直接、米軍基地のゲート前に車や街宣車を並べてバリケードを築き、その周りをデモ隊が防衛するという形だ。この戦術によって、普天間基地の全ゲートが閉鎖された。これまでの米軍への抗議行動では直接的に基地に向けられる事はなかっただけに、画期的ともいえる。この基地前は米軍の専用施設道路のため、沖縄県警も手の出しようがなかったのだ。結局、沖縄県警がとった手法は、バリケードになっていた車を次々とレッカーで移動し、デモ隊をゴボウ抜きで排除する作戦だった。封鎖されていたゲートはすべて解除されたが、怒号の飛び交う現場は、まさに一触即発の雰囲気だった。県民の怒りが最大限にふくらんだ形抗議行動だった。
 普天間基地のゲートから米国総領事館を取り巻く抗議デモに加えて、普天間基地が見渡せる嘉数高台周辺で風船や凧をあげて、普天間基地が機能しないように合法的なプレッシャーをかけ続けることも大事だろう。オスプレイ沖縄本島をくまなく飛び交う限り、人命を奪う大事故がいつ起きても不思議ではないからだ。日米両政府に見捨てられた沖縄は自力でオスプレイの飛行を中止させるしかない。
 組閣を終えた野田内閣だが、論評にも値しないお粗末な人事だった。特に、沖縄問題に関しては何も期待できない。最終的には、安保条約や地位協定を改定するしかない。が、野田総理自民党新総裁の安倍晋三も、オスプレイ配備の賛成派である。唯一、オスプレイ配備できちんとした反対のコメントを出したのは「国民の生活が第一」の小沢一郎代表だけだ。尖閣諸島への中国船や台湾船の領海侵犯とオスプレイ強行配備を連動してとらえる向きもある。だとすれば、誰が一番得するかとのの基本的見方に立てば米国である。尖閣ぼ防衛は日米安保の範囲内だが、領土問題には仲介も介入もしないというのが米国の見解だ。ありもしない海兵隊の抑止力という沖縄米軍基地の有用性のイメージをちらつかせて、既得権益をむさぶる日米安保マフィアはタチが悪すぎる。その正体を全メディアが総力をあげてあぶりだすべきである。それこそが日本戦後史のホントの意味での総決算ではないのか。反省すべし!である。
2012.10.05