国民や市民が物事を深く考えないような愚民化や情緒的気分だけで認識する気分が醸成  岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記

■8月某日 大田出版発行の雑誌「ケトル」が雑誌特集をやるという事で、沖縄まで取材にやってきた。最近の筆者は沖縄生活中心なので、上京の予定はないと断ったところ、二人の記者が沖縄にやってくることになったのだ。「雑誌特集」なので「噂の真相」の編集発行人を25年間つとめたオカドメさんのインタビューは欠かせないと説得されて応じることにした。雑誌のことを喋るのは、専門分野なので何の苦痛もないが、休刊から8年が経っている。ウワシン休刊後、「ダカーポ」「月刊プレイボーイ」「論座」「広告批評」「月刊現代」「諸君!」などの主要雑誌が次々と廃刊になった。今や、書店のA5判コーナーは寂しい限りで往年の面影はすっかり消えてしまった。今でも残っているのは,「文芸春秋」「正論」「WILL」「創」紙の爆弾」くらいで,版型は違うが、「サイゾー」「実話ゴンナックルズ」「週刊金曜日」くらいで寂しいかぎりである。何よりも「噂の真相」の後継誌といえる雑誌がいまだ出てこないことが最大の問題である。部分的には「金曜日」、「創」、「サイゾー」などが、ウワシン的要素を取り入れているが,トータル的な意味でのウワシンはいまだに登場していない。
 こうした雑誌の代わりを務めている活字メディアが「週刊文春」などの週刊誌群や「日刊ゲンダイ」などの夕刊紙である。大手紙の中では東京新聞が例外的に大健闘だ。あとは、ネット情報という事になるのだろうが、いまだに玉石混交の情報が入りまじり、信頼度はまだ不十分だ。雑誌とネットの最大の違いは、雑誌には編集・発行人がいて記事全体の裏付けや名誉棄損対策を怠りなくやっているが、ネットの場合には責任者が明記されているブログは別にして責任のとれない情報が多すぎるのが難点だ。次世代のメディアであることは否定しようもないが、今のところ、その任を十分に果たしているとは思えない。
 速報性においては、新聞や雑誌は足下にも及ばないが、かといってテレビにはジャーナリズムの機能にはほとんど期待できない。NHKから民法各局までほとんど同じようなニュースを流しているが、通り一遍で切り込みは弱く、そのニュースの裏側を深く掘りお下げることはほとんどない。あったとしても、既得権益派を擁護する偏りが露骨である。いわゆる調査報道もNHKスペシャルくらいである。お昼になると、いまだに森田和義の「笑っていいとも」が流れる。大事件や第震災が起きようが、世界各地で戦争が起きようとも、タモリが出てきて、千年一日のような番組構成。夜のゴールデン番組帯も吉本芸人やジャニーズ事務所所属のタレントばかり。いささか、食傷気味である。報道番組のキャスターやコメンテーターも最近はレベルが低すぎる。どうでもいい人物たちを起用して政治性を抜き取ることが、テレビ局のコンセンサスとなっているとしか思えない。「TVタックル」や「朝まで生テレビ」も局の方は国民のガス抜き狙いで視聴率を取る事しか考えていない。死んだハマコーを使うセンスは、この番組が政治を看板にした娯楽シューでしかないことを証明していた。その結果、国民や市民が物事を深く考えないような愚民化や情緒的気分だけで認識する気分が醸成されていく。
 オリンピックによるナショナリズム国威発揚の裏側で、竹島問題や尖閣諸島の領土問題が一触即発の事態を迎えた。日本人グループの地方議員10人も対抗上上陸したものの、政府に打つ手はなし。野田政権の迷走ぶりが背景にある事は間違いないが、国の体制も政党政治も機能していない証明というしかない。むろん雑誌をはじめメディアの批判力の衰退も背景にあることは言うまでもない。
2012.08.21