第二自民党、もしくは「内閣官僚制」の維持推進派でしかない裏切集団だ。  岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記

■7月某日 政界は民主党野田政権が終局面を迎えている。消費税増税の国会議決は成立したものの、政権党の足下から棄権・欠席を含む71名の野田執行部への批判票が出たからだ。党議拘束という除名を含む執行部の恫喝にもめげず、これだけの批判票が出たことで、輿石幹事長が小沢元代表とサシの直接会談を3回持ったにもかかわらず、結論は来週に持ちこされた。7月2日には輿石幹事長と小沢元代表との会談は打ち切られる予定だが、輿石氏の「党を割らない」との思いが実現する可能性は限りなくゼロだ。もはや、野田―仙谷―前原―岡田―枝野―安住―小宮山といった、民主党公約との逆張り推進派連中は、もともとの民主党のセンスではない。第二自民党、もしくは「内閣官僚制」の維持推進派でしかない裏切集団だ。政権公約は完全に捨て去り、権力の維持だけが目的化した権力亡者にすぎない。消費税増税派で賛成票を投じた、いわゆる中間派は信念よりも権力の座をうしないたくない連中なので、ポリシーがない分、どちらへも転ぶタイプばかりだが、もはや「国民の生活が第一」の公約を捨てた転向者、国民への裏切り者にすぎないと断芸したい。
  小沢元代表は、もはや野田―仙谷らの消費税増税で明白な財務省官僚主導の日本の国家運営に、有権者とともに明白な「NO!」を突きつける最後のチャンスである。大手メディアと霞ヶ関官僚連合軍は、間違いなく日本を滅ぼす連中である。何回でも書くが、この連中はあまりにも国民を舐めすぎている。政権交代に人生を賭けて全面的に期待してきた筆者も(笑)、今や確実に虚しさと絶望感を感じる。しかも大手メディアは自民党霞が関官僚とグルになって、小沢元代表に対して必死のネガティブ・キャンペンを張っているが、ホントかいなと疑うべきがウワシン・イズムである。野田民主党は完璧に裏切って転向したし、自民党よりタチが悪い権力亡集団に成り下がったと断言できる。
 むろん、筆者も自己批判すべきだが、小沢、鳩山、菅というトロイカ体制がなかったら、民主党政権は歴史的に成立しなかったし、応援団としては悲しすぎる。特に、一番、長い付き合いのあった菅直人前代表に対しては、絶望の極致だ。菅総理の奥さんである伸子夫人と、テレビで対談して、そのことをより強く感じた。菅元総理の唯一最後の評価材料は脱原発、再生エネルギーへの転換宣言だけだが、いまだに何も動いていない。菅も野田も口先だけの総理だったと断言したい。
 小沢元代表とは沖縄で一度しか面識はないし、何の義理もない。かつては、小沢批判がウワシンの基本姿勢だった。今でも小沢氏の人間性には理解できないところもある。それでも、日本の国の統治システムを変えると宣言した小沢元代表に対して、検察、霞が関自民党、米国政府、そして、大手メディアの幹部連中が総力を上げて批判すると、「それは違うだろう!」といいたくなる。ウワシン・イズムが、ムクムクと湧き上がる。一度、小沢氏に官僚内閣制との戦いのチャンスを与えてみたい、しかもこれが最後の勝負である。これでも霞ヶ関官僚が既得権益にズブズブならば、日本に未来はないと断言したい。もう二度と政治に期待しないというニヒリズムに陥るしかない。すでに、その気分そのものだが、ささやかに言論を発信してきた立場にいる以上、政治の横暴は許せないという生来の正義感まで消すわけにはいけない。ジャーナリズムという職業にかかわってきたものの性である。
 今回は那覇市桜坂劇場で見た若松孝二監督の「11,25 自決の日――三島由紀夫と若者たち」について書こうと思ったが、永田町政治のデタラメさとメディアの超不甲斐なさを見過ごすわけにはいかなかった。しかも、「映画評論」元編集長だったカゲキ批評家の松田政男氏が、出身地の与那国里帰りの後に、那覇市内で久々に語りあう機会もあって、より奮起すべしとの決意を新たにする。小沢代表には、消費税増税反対、原発依存反対、TPP反対、オスプレイ反対で、既得権益にズブズブの野田政権と自民・公明との総選挙を戦い抜いて欲しい。小沢氏でダメなら、日本は終わりである。小沢氏の功績で政権交代ができたという冷厳な事実を忘れて、乗っ取り劇を仕掛けて自己保身に走る菅直人野田佳彦、仙谷、岡田、前原、といった売国の裏切り政治家に死を!by、三島由紀夫(苦笑)。
2012.07.01