政治家失脚と米国と新聞:田中角栄失脚:孫崎 享

 米国が失脚を謀った代表的日本の首相が田中角栄。失脚に、米国と日本の新聞社と財界と見事な連携がある。一つのパターン。歴史は今を考えるためにあります。1974年10月立花隆氏が「文芸春秋11月号」で「田中角栄研究ーその金脈と人脈」を発表。
 これが田中首相降ろしの始まり。田中首相の財産形成過程を記述。しかし、論文掲載直後、田中政権がぐらつくという状況は出ない。主要子分格が危機管理。主要新聞報じてない。立花論評は不発。ここで、10月22日田中首相が外国記者クラブで講演。米国記者を中心に徹底的に田中金脈追求。不可思議な動き。
 何故なら、外国人記者には他に質問すべき項目が山のようにあった。11月フォード大統領が、戦後、米国大統領として初めて訪問予定。田中首相の訪中の問題もある。この時期、日米間ではラロック証言という重大な発言。米退役海軍少将のラロック氏が米議会で「核兵器搭載可能な艦船は日本に寄港する際、核兵器を降ろすことはしない」と証言、核疑惑が一挙に表面化。
 10月18日朝日新聞は「田中角栄非核三原則堅持を言明」「米国が持ち込み求めても事前協議で拒否」と報道。外国人記者の大多数は日本語を読めません。日本の新聞のどこも取り上げていない論評を、5名程度の記者が次々質問するのは異常。実はここで終われば、何でもない。しかし、朝日新聞と読売新聞は翌日、10月23日一面トップで大々的に報道。「“田中金脈”追求へ動き急。政局に重大影響必至」が朝日新聞の見出し。読売も同様。朝日新聞と読売新聞が火つけ。国会議員が同調。経済界も川木田東電社長が「このままで蓋をすべきではない」、中山素平が「暫定政権でいくしかない」田中首相は12月9日首相を辞任。米国・新聞・財界の見事な連携。しかし田中の力衰えず。ここから次のロッキード事件が作られる