経集 151

151 立てるも行けるも坐しつゝも、臥せるも睡眠を離れ居る限りは、この慈禅の念を住立せしむべし。この仏教中にてこは慈梵住と言はる。南伝大蔵経 第二十四巻 小部経典二 一 蛇品 八 慈経 五十四頁)
立っていても、歩いていても、坐っていても、又臥していても、意識の醒めている限り、この思ひだけで、心が満たされているならば、それをこそこの世で気高い境涯に生きるといふ。(毎田周一訳 釈尊にまのあたり 一周会刊)