「さようなら原発集会」 発言 澤地久枝(作家/呼びかけ人)

 こんにちは、みなさんよくいらして下さいました。こんなに大勢の方が参加して下すって、どれだけ嬉しいでしょう。最初の記者会見のあと、わたしは姿を消していました。ひざの骨折とそれから手術ということで五十日あまり入院をしたんですね。家に帰ってからも足腰がなえて回復がとても遅かったと思います。しかし今日、どんなことをしても立って参加しようという意思が私を立ち上がらせ歩かせたのだと思っています。

 昭和の時代には十五年におよぶ戦争の日々があり、沖縄戦と広島、長崎への原爆投下の果てに敗戦を迎えました。

 人類は日本という実験場で初めて原爆を体験したのです。日本は実験場だったと思った方がいいとわたしは思います。

 その日本に54基もの原発ができ、福島の事故から半年経っても終息の手立てがないことは原発の本質と歴史の痛烈な啓示を示してはいないでしょうか。

 この国は原発など持ってはいけない国だったはずです。核が暴走始めてしまったら、人類はその暴走を止めたり、コントロールするノウハウをまだ持っていないんですね。そういう危険な物は地球には必要がないと思います。

 日本だけが脱原発では済みません。放射能は海を越え国境を越えて広がって行きます。これは防ぎようもないのです。

 原発を含む日本の電力会社は、過去何十年間か抜群の大スポンサーでした。どこに対してのスポンサーだったかは敢えていいません、みなさんよくご存じだと思います。何百億円という現金が原発の安全性PRと推進の為に使われ、その毒は広く広がったようです。事故の直後から原発東京電力批判を差し控え、暗に原発擁護の言説が大手を振ってまかり通っています。特にテレビを見て下さい、ひどいものだと思います。

 東京電力が役所に最近提出した報告書類は本文のほとんどが抹消の黒線で消されていました。なんと無責任で傲慢な姿勢なんでしょうか。こういう実にレベルの低い、責任を問わない非科学的な人々に私たちのいのちが握られてきたと思うと本当に寒気がします。

 事故直後、年間被曝許容量の数字を大きく変えた政府発表は、以後の発表の際、不信を抱く原因を作ったと思います。その限度量さえ超えて事故現場で働く作業員の生命は誰が保証するのでしょうか。多くは下請けの労働者なのです、東北はいつもいつも、棄民、捨てられる民の対象になってきた、割を食ってきた歴史的にひどい歴史を背負っていると思います。

 我が子の健康を案じ、住むべき場所、食べさせる物に悩む母親たちが一杯います。事実を知りたいと彼女たちは皆望んでいます。知らなくては対応のしようがないんです。原発を無くしたら電気が不足し日本経済は成り立たない、雇用は減り失業率は増え、貧しい二流三流の国になる。展望を失った暗い社会が訪れると威嚇混じりの原発擁護が大っぴらに語られるようになりました。しかし就職難、不正義、委縮しがちな世相は原発事故以前から慢性症状としてあったのではありませんか。今ここですべて原発帰納して、だから原発が必要だという考え方はどこかですり替えが行われています。うそがあります。

 私たちは政治不在の社会を変えようとして政権交代を実現させたんですが、しかしですね、政治不信が生まれるのは自然なことです。しかし結末は、結果は私たちに返ってきます。希望とは道を見出すべく残されているのは自覚し考える個の確立と個と個の連携、その広がり、つまりは市民運動ではないでしょうか。

 今日の集会のこの成否をまた1000万市民の原発さよならの署名は私たちが求める新しい国造り世直しに道を開くと思い、わたしはそこに希望をつなぎます。

 時間がきているんですけれど、同時に今回の原発事故の原因と経過の真相究明を徹底させたい、政府と東電の秘密主義は原発事故に限らないこの国の悪しき体質を反映しているからです。

 今日おいでになっている、特に女性の方たちに語りたいと思います、今日まで一人の戦死者もみなさん出さなかった戦後は、二度と戦争はさせないと決心した、戦争を体験した日本の女たちの力だと思います。

 地球といのちを守り、平穏な未来を確保するべく、いのちといのちを生み育む女性たちが役割を果たすべき時は今です。血縁を問わず国境を越えていのちを守る戦いにはその夫、恋人、友人たちも戦いの同志に連なるでしょう。その周りには、私のような高齢の思いを同じくする人間がいることを確かめあって進んで行きましょう。

 老若同盟と亡くなられた加藤周一さんは言われましたが、老若男女を問わぬ人間の砦を築いて行きましょう。ここで私たちは負けることはできないのです。みんなで一緒に力を合わせて行きたいと思います。今日はほんとうにありがとうございました。