禁断の森 2  辺見庸

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バスの来ないバス停。ドアが開いたままの納屋。その奥の動かぬ闇。畑は一面雑草の海原だ。枯れ草が波打ち騒ぐ。民家の、無人の居間。一九八六年のカレンダー。壊れた窓から雪が吹きこみ、色あせたカーテンが外にはみ出て風に泣く。

立ち入り禁止になっているチェルノブイリ原発三十キロ圏の村を、私は歩いている。

 事故後、五万人以上の農民のすべてがここから退去させられた。それからもう八年になろうとしている。疎開先の生活になじめず、結局八百人ほどが禁を犯して戻ってきてはいるけれど、冷え冷えした眺めは変わらない。

 空がどんより、低い。静まり返る森も怪しい。

 おーいと呼ばわれば、雪道を伝って隣村に声が届く。人がいない。

 原発から南西二十キロのイリイェンツィ村に来た。煙突から細々と煙の出ている家をやっと見つけた。老婆が干しキノコをどっさり入れたサリャンカ(野菜スープ)をこしらえていた。

 マトリョーナ、七十二歳。風邪をひいている。事故後モスクワなどを転々、翌年「村のきれいな空気が懐かしくて」一人で戻ってきた。「放射能ったって年寄りにゃ関係ないって話だし」と鼻水をすすりあげる。太った猫が寝ていた。

疎開先から帰ったら私の猫のボーラが生きててね。村中の猫が集まってきたねえ」

 いまは、一日の大半をペチカの前に座って事故の前に亡くなった夫を思い出しては、まどろむ。そのペチカの薪は森から拾ってくる。おばあちゃんの目を盗んで薪に放射線測定器を近づけたら〇・四マイクロシーベルトあった。東京の四、五倍か。

 森はいけない。森のキノコもいけない。科学技術センターの研究員に私は注意された。放射性物質をいまだに帯びている。この夏に森が火事になった時、「死の灰」が舞って放射能値が異常な高さになったという。森の薪が、いまはおばあちゃんのすぐ傍らでチロチロ赤く燃えている。

「キノコは危ないらしいね」

 私かつぶやくとマトリョーナは力なく笑う。

「昔から食べてるんだ。なーに、サマゴン(自家製酒)を飲みゃだいじょうぶ」

 老人たちは皆そう信じている。現地の学者の幾人かも信じている。ウオツカや赤ワインは放射能を洗う、と。だから、よく飲む。

 けれども、サマゴンを作るには、これまた危ないといわれているリンゴを材料に使わなければならない。

「私も毎日チビチビやってるんだよ」

 おばあちゃんが赤子でも抱くように自家製酒の瓶を持ってきた。

「あんたも男だったら一リットルは飲まなきゃ」

 おばあちゃんと二人して宴会になる。雪見酒。五十度だという酒を彼女はクイクイ飲んだ。シイタケに似たキノコ入りスープをすすり、フレー二キ(ウクライナ風水餃子)をつまみ、豚のレバーの焼き鳥を食った。豚を飼っている。キエフにいる息子がせんだって来て、殺した、そのレバー。

右腕が時々握手も辛いほどしびれると老婆は言った。

「年のせいか放射能のせいか、神様にしかわからないね」

 人生観と科学がごっちゃに語られる。このあたりでは皆そうだ。私にもその傾向がある。諦めで疑いを乗りきる。今日の日をそうしてつなぐ。そのような生き方もある。が、私には結局割りきれなくて、火のような酒で喉を焼く。ペチカも燃える。

 

別の日、やはり三十キロ圏のクポワテ村に来た。原発のすぐ近くをプリピャチ川が流れる。それが何倍も大きなドニエプル川と合流するだいぶ手前の、沿岸の村。

 ビクトルという前歯の一本欠けた男が、魚を運んでいた。カマスに似た顔の長い魚。シューカという。凍りついた川面に穴を開けて釣ってきた。六十一歳のビクトルは「キエフよりもっと南にいたんだが、食いものが合わなくて体を悪くして戻ってきた」という。三年前のことだ。以来、疎開前と同じものを食べている。

 庭にリンゴの木。腐って黒ずんだ実がまだぶら下がっている。タバコも昔どおり栽培しているという。

「魚もリンゴもなんでも食う。それでいい。どうせ先は長くないし」

 手の甲の入れ墨を隠しながら言う。兵隊でシベリアに行った時、汽車のなかで入れた。単に「シベリア」とウクライナ語で。

 疎開先の家族のことだけ案じている。ビクトルの場合、八年前の原発事故と、それよりもっともっと前のシベリア行きが、同じ重さで記憶されているみたいだ。そしてシベリア行きの汽車のなかでのように、いま、腹をくくっている。だから、なんでも食う。「自棄」に似て、しかし異なるなにか。なんだろう、それは。

 隣家の、元コルホーズアンドレイ夫婦は多弁だし、ビクトルよりにぎやかに暮らしている。だが、ここにも自棄にまがう気配が漂う。

 夜、宴に呼ばれた。なんとはなしゴーゴリの『死せる魂』を思い出した。

 それは目の覚めるような食卓だった。キノコ炒め、キエフ貯水池で捕った魚のフライ、壷で炊いたキビのカーシャ(おかゆ)、ロールキャベツ、パンプーシェキ(丸い白パン)、それにもちろんサマゴン。皆でグビグビ飲んだ。

「畑ひとつなかったこの村を開墾したのはだれだと思う? わしだよ」

 六十歳のアンドレイが胸を張る。

「威張るんじゃないよ。この浮気者

 十二歳下の妻ソフィアが、亭主の酒焼けした額を平手でペンペン叩く。

 二人で事故後一年してここに戻ってきた。

「それがなんだ、いまは。ひどいもんだ」

 アンドレイが怒りだす。原発事故のことかと構えたら、ちがった。

ペレストロイカとか言いだしたあたりから世の中急におかしくなった」

 アンドレイの顔がタコのように赤く染まった。サマゴンがだいぶ回ってきた。

「昔は三ルーブルあればパンでも肉でもたいていのものが買えたんだ。いま、パンがなんと五千クーポン(ウクライナの暫定的金券)だ。先週の二倍だよ。魂の腐った指導煮ばかりだからこうなる」

木のくり抜き人形のマトリョーシカみたいに肥えたおばさんもいつのまにか席にはまっていた。

友人だという。マトリョーシカが酔って歌いだす。

 亭主はバザールの帰り、酒場でお金をみんなすっちゃった。バカな亭主だよ。来年はなんとか稼ごうよ……。

 声が、人もまばらな村中に響き渡った。

「畑が好きで、豚が好きで、社会主義を信じて生きてきたんだ、わしは」

 アンドレイが演説。俳優のロバートーデュバルに似ている。

「バカタレ。浮気者

 ソフィアがまたペンペンする。それでも叫ぶ。

「ここで戦うんだ。死ぬまで戦うんだ」

 放射能と戦う気ですか、と私は言わない。わかる。色も形も見せないものへの怒り。腹の底からふつふつとそれが沸く。

「わしは信念で生きるんだ。わしは……」

 歌と話が途切れるのが怖い。沈黙が辛い。だから話す。疲れきるまで。夜更けまで。

共同通信社刊 もの食う人びと より)