神話的破壊とことば──さあ、新たな内部へ  消えた街なみの記憶 辺見 庸

                    消えた街なみの記憶 
 さて、わたしたちに過誤はあるのかないのか。過誤はあったのかなかったのか。原爆を投下されたのちにいくたびかこころみたように、そのような自問は今度もあってよかりそうだ。廃墟にたたずめば、しかしながら、そのような設問はしない。廃墟にあってはしばらくのあいだ一切の問いという問いがかき消えるのだ。原爆のときもそうであったと聞く。ひたすら奇幻にうちのめされ恐懼して自失する。ああそうだったのか、というおもいと、なぜこうなのかという疑念が妙にとけあって、あるべき問いはなかなかたちあがらない。ものを問うとは、おもえばじつに上等でぜいたくにすぎるほどのこころみなのだ。問いがもちあがるのは、からだがいくらか休まり、おのれのからだにしみた屍臭がついにうすれかかってからなのである。ゴボ、ボキッの屍の音が耳の底からなくなりかけてからのことである。とりかえしのつかないまちがいを、いつおかしたのか。これら至大無辺の破壊と荒ぶる風景にみあうひとのあやまちとは、ぜんたい、なんであったのか。いや、そのようなあやまちなどついぞなかったのであり、このたびの土と水と火の狂乱は、ただに自然現象またはそれを原因とするのだから、ことさらの内観にはおよばない、ということなのだろうか。わたしはかんがえている。かって駅伝大会でかけぬけた日和山をかこむ石巻の、いまは消えた街なみの記憶をたどりながら、わたしはかんがえている。わたしに過誤はあるのかないのか。
 歓声が聞こえる。門脇小学校正門まえで走者一人をぬきさったときだ。得意だった。磯の 香りと草いきれと子どもたちのはぜる声。しおさい。港をでる漁船の汽笛。生白かったから、わたしのあだ名は「フランス人」だった。あのころ、あのあたりの子どものあいだではそれは蔑称だった。駅伝でヒーローになってから、あだ名が消えた。わたしはかけた、胸をはってかけた。わたしは英雄だった。しあわせで気が変になりそうだった。そのときが絶頂だった。バス通りをかけた。道は舗装されていなかった。みな、まずしかった。だが、道にこんなにもひとが死んでたおれてはいなかった。学校も病院も焼けただれてはいなかった。道は泥犂(ないり)をめぐるそれではなかった。わたしは駅伝のアンカーとして道をはしったのであり、地獄めぐりをしたのではなかった。約半世紀後に奈落となる通りをはしっている……そんなこと、つゆいささかもおもいはしなかった。いま、かんがえている。どんなあやまちをおかしてしまったのだろうか。なにも手がかりはないのか。ただ哀しむだけでよいのか。ただ哭くだけでよいのか。ただ悼むだけでよいのか。
しおさいだ。はるかな耳なりみたいなその端緒から想像を膨らましていくことができなかった。ことばをうちたてていくことができなかった。しおさいはいつも
予感をはこんできた。しおさいは兆しをはこびながら、みずからふくらみつづけ、ときに海鳴になって警告しもした。もっと畏れるべきで あった。畏怖すべきであった。ひとは超えられるだけで、ひとが超ええないものもあること。それは不当なのではなく、われらの事理を超えたさらに巨きな宇宙的なことわりであることを、わたしは駅伝をはしりながら予感すべきではなかったか。予感できなかったこと、それを過誤とはよべないか。落ち度といえないか。このたびの破壊の一面はおそらく数値化のまったく不可能な、およそ限度というもののない、いうならば神話的なまでの破壊なのであり暴力であった。それを予感しえなかったこと、措定しえなかったことをあやまちとよぶなら、いま、わたしたちがこれだけの神話的な破壊を叙述することばをさっぱりもちあわせていないことは、さらに救いがたいあやまちであるにちがいない。畏れを畏れとして表わすことば。わたしたちはそうしたことばを用意していなかった。深々としたことばをそなえようとしなかった。放射能が怖いのは数値だけがあって、ひととして危機の奥行をあらわすことばをもちあわせていないからだ。泥犂の情景が先行し、ことばはおいていかれた。ことばが見棄てられた。理不尽な破壊がことばをみはなしたのではない、わたしたちがことばをただいたずらにもてあそび足蹴にしてきたから、手もとのことばが役たたずになったのである。哀しみの位置と深さをことばでかたりえないために、ひたすらに茫漠としてむなしく哀しいのである。

こうなったら、荒れすたれた外部にたいし、新しい内部の可能性をあなぐるいがいに生き
のびるすべはあるまい。影絵のひとのようにさまよい、廃墟のがれきのなかから、たわみ、壊れ、焼けただれたことばの残骸をひとつひとつひろいあつめて、ていねいに洗いなおす。そうする徒労の長い道のりから新たな内面をひらくほかにもう立つ瀬はないのだ。新たなる内部では、2011311日のまえよりも、もっともっとひととことばの深みに関心を向けようとわたしはおもう。しおさいと讖(しん)と兆しにもっと謙虚に耳をかたむけよう。いまはバラスト(底荷)もジャイロコンパスもうしなったわたしは、すてばちにもなれないほどに空洞な舟である。それでもわたしは記憶の街の駅伝競走で遠いしおさいをききながらはしっている。歓声が聞こえる。
文藝春秋2011年5月特別号 緊急寄稿 われらはなにをなすべきか)