静思湧言

平和を云う前に、何を分かち合うかだ。
人類→人間→人→私、とだんだんに煮詰める。
私の物→私の地位→私の能力→私そのもの、と煮詰める。
フランケンシュタインはどの程度反省能力を持ってたか。
人生目的は持ちにくいが故に持たねばならぬ。
レールは敷いてあるものか、敷くものであるかが問題だ。
自分の固定観念に気付かないのが固定観念である。
『人生乾杯!』いかにもいい加減な人生に乾杯!
皆サマー二十二世紀には核騒動が語り草にナリマース。
世界の山々に「人間観測所」を作ろう。
暗愚と賢明を光りファイバーでつなごう。
謙虚さによって充実してくるという妙。
生活が安全保障されてくると、何を考え始めますかね。
英雄がいらなくなったのは、各人に責任能力が出来てきたからだ。 ウソのようなほんとホント。
これからは静思能力が評価されるようになる。
人生は無断駐車している様なものだ。申し訳ない事だ。
春めいてくると希望が湧いてくる。何とも有難い事だ。
「私は自然流でゆく」と聞いては、驚嘆する他ない。
春はかけ足、人は千鳥足。
ラッパ水仙よ、君にはホラを吹く資格がある。