原始仏教講座 第六講(最終講) その十

第六講 その十
 信者のあり方。今までは全部むしろ宗教者、プロの話だったわけです。ところが日本仏教には信者の話がないんです。信者の話を三宝聖典第三十一項 浄福という所で説明いたします。浄福、これは信者のあり方です。阿含経にあるわけです。南方、タイなんかではこのお経を現在でも採用してあるんです。日本では全然採用されていないんです。宗教活動せよというむしろプロの話だけをお経が信者に向ってなされる。だから信者さんは建前だけで、実際には動きがとれないということになる。お釈迦様の時分は実際の話をなさっています。
 世尊、サーバッティーの祇園精舎にとどまりたもう時、世尊というのはお釈迦様です。一人のうるわしき神、神様がお釈迦様の所に訪ねてくるわけです。まあこれを神様というのを、深層意識として考えればいいです。かって人間であった深層意識が神様という形になるわけです。その神様になった人が、よく分らないというので訪ねて来るわけです。夜ふけて祇園全体を輝かしつゝ、ブッダのみもとに近づき、挨拶をなして問いたてまつれり。「多くの神々や人々は、最上の浄福を考え、求むるなり。願わくば世尊、これを説きたまえ」と。その幸せ幸福、清らかな幸せ、それをどうぞ教えて下さいと、神様がお釈迦様にお尋ねするわけです。
 この問に世尊、答えて仰せられたり。
 一、愚かなる者をさけて、賢き者とまじわり、尊敬すべきものを敬う、これぞ最上の浄福なり。あんまり愚か者と一緒なっていたんでは、自分も段々愚かになっていく、ようするに朱に交われば赤くなるということです。だからちょっと人生を考えるような人と付き合うようにしなければということです。